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テレビは今後もエリートの戦場なのか

今は昔に比べると多少地位が下がったようだが、それでも「テレビ局勤務」というのはエリート扱いであろう。もしアナウンサーともなれば学歴に加えて容姿端麗なことも求められるし、特別な業界であることは間違いない。
だがしかし、そんなエリートたちが集まって作っているテレビ番組に、とても面白いとはいえないものがたくさんあるのが不思議である。

テレビマンの本やネットのインタビューなどを見ると、やはり敏腕とされる人たちは色々ちゃんとした哲学的なものを持っていて、実際番組も当てている。
佐久間宣行氏、藤井健太郎氏、橋本和明氏、加地倫三氏など)
※代表作は順番に「ゴッドタン」「水曜日のダウンタウン」「有吉の壁」「アメトーーク」

こういう人たちは企画によっては「やりすぎ」として炎上を誘うものも作るが、 いわゆる手あかのついたものをあまりやらないイメージがある。
例を挙げると「新鮮味のないドッキリ」「最高月収をやたらと聞く」「使い古された罰ゲーム」「普通のクイズ」などだ。

こういうのが未だになくならないのは一定の視聴率が見込めるということなのだと思うが、エリート中のエリートが集まって企画会議してエリートの上司にプレゼンして決めてやってるものがアレってのは何でなのか?
もちろん視聴率が稼げるイコール「見ているほうもそんなレベルなんだから合わせているんだ」という論調もあるだろう。
まあもっと言えば「エリートが蹴落としあって勝ち抜いたエリートが集まったはずの国会があんなの」という風にもなってくるが、風刺くさくなるので停止。いずれにせよ「前例が強いから」という気質の話かもしれない。成功体験というか サンクコストというか。

そうなると、そこに不満を持ち、活躍できるフィールドを求める人が移り住むのはいま、動画の世界であろう。まあ平たく言うとYouTubeである。あと最近ではネットフリックスやAmazonプライム、Huluなどの映像配信サービスもある。
ネットフリックスでは佐久間宣行氏の手掛けた「トークサバイバー」が人気を博したことも記憶に新しい。

放送作家などでもYouTubeにシフトしている人もいるそうだ。いずれにしても動画や配信が力を持ってくると、ますます「コンテンツ力」こそが勝負になってくる。面白いものを作れる人に、これまで以上に指名が集中するだろう。「前例や先輩スタッフが幅を利かせてて面白いものが作れない!面白い企画ならあるのに!」と 思っているようなスタッフにはチャンスとも言える。
ただある芸人がテレビで「ヤバいことやっちゃいましょうよとか持ち掛けてくるディレクターにろくなのはいない」と語っていた。なんかこれはわかる。某ベテラン芸人も「基本的には求められるものをやるだけ、そのうち優秀なディレクターと当たるだろうと思って続ける旅」みたいなことを言っていた。ただ「スライムみたいなディレクターばっかり当たる」とも言っていたが。

一方で千鳥など動画をやらない層もいるし、未だにネットニュースの起点はテレビでの発言やシーンであることも多い。録画やあとから視聴が当たり前となっている今視聴率がどれだけ意味を持つのかはわからないが、とりあえず電源を入れれば流れてくるというのはやっぱり強いのだろう。
動画はまず何を見るか検索するところから入るからである。だが最近はチャンネル登録によってYoutubeを立ち上げた途端に番組が飛び込んでくるようになった ので、「受動的な視聴」すらもテレビから奪われていくのかもしれない。

しかしあれだけ「チャンネル登録と高評価おねがいしまーす!」と叫ばれてるのだから、ついでに動画の間に流れてくるCMに関しても低評価を押せるようにしてほしい。まあその金で動画の収益になっているからやるわけはないが。

しかしコンテンツ力が勝負になるとはいえ、そういうのを探そうと思ったら既に当てている人くらいしか情報がない。門戸をフリーにした動画企画書決定戦とかやって発掘してくれたらいいのに、と思う。
まあそうやって面白い企画を考える人が増え、つまんない企画しかしないのに芸人やタレントを「使ってやる」「俺の企画に出してやる」みたいなタイプの人が減ればいいと思うが、実際はそういうのこそけっこう幅きかしてんだろうな。


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