見出し画像

配信とドキュメンタリーとピューリッツァー賞

一般人でも全世界配信が容易になったおかげで、「動画」というものがすごく身近になった。逆に言うと特別なものではなくなったということだ。しかも「ファンをつけるためにはどんどん配信する必要がある」という言葉が広まっているせいか、とにかくどんな内容であれ毎日配信する人がいたり、やたらと緊急配信をしたりという状況になっている。

そんな中、子供の持病だとか、体調不良状態とか、いわゆる「昔だったらあんまり積極的に公開してなさそうなこと」も配信されたりする。
そういえば昔、自身が救急車に運ばれる様子を撮影していて救急隊員に怒られてたYoutuberもいたなあ。「そのまま配信すればなんでもドキュメンタリーと言えるのか?」という疑問が湧いたものだ。前述の「緊急で動画撮ってます」パターンも多いし。世の中にはそんなに緊急撮影しないといけないことが多いのだろうか。ニュース以外で。

しかしこういう話で頭にちらつくのが「再生数」である。すぐにカメラを回すのも結局はそのため。普通にやるより緊急の方が見られやすいし、何か変わったことが起きれば「いまの撮っておけば再生数が稼げたのに!」となるからとにかくすぐ回す。このへんは写真でも同じことが言える。「料理失敗して鍋を開けたらこんなとんでもないことに!」といった感じの写真がSNS上で回ってくるのを誰しも見たことがあるのではないだろうか。冷静に考えると「まず片付けよう!とするんじゃなくて先に写真撮るのけっこう余裕あるな」とは思うのだが、これもやはり「何か面白い失敗=写真に撮るといいねが多い」という思考に行きつくようなクセがついているからだと思われる。

しかし、こういったことを考えていてふと思い出したのが、「ハゲワシと少女」という写真だ。優れたジャーナリズムに贈られるピューリッツァー賞を受賞したこの写真は、当時そのショッキングさが大いに話題となったという。アフリカのスーダンで飢饉が発生した時、やせ細った少女が今にも死にそうに倒れ込んでいる後ろにハゲワシがたたずんでいるという構図。まるでもうすぐ少女が屍となるのを待っているかのように…ということで飢饉の悲惨さを伝える写真ではあるが、「そもそも撮ってる場合か」「この写真を撮っている奴こそハゲワシだ」という非難が寄せられ、最終的にはカメラマンは自殺してしまったという。
実際にはカメラマンは写真を撮った後でハゲワシを追い払ったとも言われているが、その瞬間はもちろんカメラに収められてはいない。動画にしても、写真にしても、ドキュメンタリーは結局「枠内」の話なのである。


ちなみにその写真はこちらの記事に掲載されている。


毎日配信だとか、完全ドキュメンタリーだとか、楽しんでやれてるうちはいいが、それが変な強迫観念となってしまうと、段々とややこしいことになっていくのでは…と思う。もちろん、病気の子どもとかが動画をアップしてファンがつくことによって本人にもプラスに働いている、などの背景があるのならばいいのだけど。再生数を稼ぐために演出が過剰になっていきわざと子供のかわいそうなシーンを撮影…とかなるとまあほんと誰も幸せにならない状態。
しかしその責任の一端はまた、動画を視聴している側にもあったりするのだ。
その「枠外」はどうなっているのか、想像力をもたないといけないなぁ。

サポートいただけた場合、新しい刺激を得るため、様々なインプットに使用させていただきます。その後アウトプットに活かします、たぶん。