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ASD当事者の考えるスキンシップと感覚過敏

どうも、もぐらちゃんです。
ページを開いていただき、ありがとうございます。

今日はこれも実はASDの特性のひとつ?と感じる、スキンシップと接触過敏について、ASD当事者のひとり目線で書きたいと思います。

スキンシップについて

私はスキンシップを“する”のは好きです。
むしろない日が続くとストレスを感じ、不満すら感じるくらいです。
ひょっとしたらほかの人より多くそれを求める傾向にもあるかもしれません。
それくらいには重要なことでもあります。

しかし、スキンシップを“される側”となると、状況はまったく違い。
不快に感じない相手からの予兆のある触れ合いや、私が良しとし慣れたものについてはさほど難色は示しませんが、それに当てはまらない触れ合い、特に何をされているのか理解が追い付かないものに関しては本当に不快極まりなく。
状況次第ではパニックを誘発するくらいのストレスになります。

私見ですが、ASDの診断が不要とされている人と比べると予測そのものが難しい面があることを日々ひしひしと感じているので、その兼ね合いで特にそういったことへの不安も強いのかもしれません。

感覚過敏について

私自身はなかでも接触過敏の一種だと感じているのですが、接触過敏というと衣服などの不快感を連想する人もいるかもしれませんが(衣服の不快感のほうはあまり強いほうではないように感じますが私にもあります)、それだけではなく、先に挙げたようなパニックになるほどのスキンシップによる不快感があることそのものもひとつなのではないかと思っています。

いまの私は大人でなおかつ配偶者のいる身。
何事もなく暮らしているなかで触れてくる人は多くいません。
夫と子供くらいです。

なので、不快感を覚える場面はだいぶ少なくなりましたが、それでも正直ゼロとは言えません。
普段は触れて大丈夫な間柄であっても、考え事をしているとき、集中しているときなどに触れられるのは嫌いますし。さほど乗り気でないときなんかも素知らぬフリをしてするりと避けてしまうときもあります。

いま難しいなぁと感じていることは触られること自体というより、触られつづけて、許容範囲を超えた場合です。
はじめは大丈夫だったけど、度を超したから身体が拒否反応を示し始めたなんてこともあります。

なので、最初に大丈夫だったからずっとOKというものではないようです。
(自分事なんですが、私のなかでは気持ち云々以前の身体の拒否反応なので、どうにもやや他人事のように感じているところがあり、このような表現になりました)

あと、これはわりと誤解を受けがちだと思うのですが、けっして愛情を感じていないとか、その人のことが好きではないとか、まして人が嫌いとかそういうことと必ずしもイコールではないんですよね。
ただ、ASD特性の薄い人と比べて、不快と感じる範囲が広いもしくは異なっているからそのように受け取られがちなだけの気がしています。

ASD当事者や傾向のありそうなかたと関わりのある人はそのあたりを少し心に留めておいてもらえると、お互いにストレスがもう一歩少なく過ごせるのではないかと感じています。

さいごに

そもそも人によって感覚って異なるものですから、子供やパートナー、その他身近な人がもし同じ特性を持っているのだとしても、バッチリ当てはまるかと言えばそうとは限らないと思いますので、ただの一例として受け取っていただけるとありがたいです。
しかし、ASD当事者のひとりとして、考えていること感じていることを知るキッカケになれればと思い、今回記事にしました。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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