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祖父母時代(明治生まれ)の人たちの親しい人の呼び方がすごく洒落ていた件

千代さんは、「おっちょさん」と呼ばれていた。
徳次郎さんは、「お徳さん」だったし桜井さんは茄子作(なすづくり)という所に住んでいたので「なすくり」と呼ばれていた。

既にみんな他界されたけれど、祖父母の年代の親戚の人や祖父母の友人たちとは特別親しい付き合いはなかったけれど呼ばれている名前のインパクトは強く残っているのだ。

祖父に関係のある人でとても印象に残っている人が二人いる。

その一人が、「よっしゃん」と呼ばれていた人。
祖父の腹違いの兄だと聞いたことがある。
本当の名前は知らない。
時々ふらりと連絡もなしに訪ねてきて気が済んだら帰って行くような人だった。
祖父は、「よっしゃん」が訪ねてきても決して嬉しそうではなかった。
当時高校生だった私は「よっしゃん」が嫌いだった。
下品なおじじと思っていた。

何年も訪ねてこなかった「よっしゃん」がある日突然やって来た。
挨拶しに行った私に、
「何歳になってんや?」
と訊く。
「17歳です。」
と応えると、なんと、なんと、なんと。
親戚の他の人とかも居るっちゅうのに
「17か。お毛毛生えとる歳頃やなあ。ハハハハハ。」
と言いおったのだ。
初めは何を言ってるのか分からなかった。
おけけ???
おけけはえとる???
!!!あっ!!

分かった途端、なんちゅうことを言うんやクソジジイめっ、と思うと同時にものすごく恥ずかしくなった。
今の一言で、その場にいる人がみんな私の裸の体を想像したのではないかと思って本当に嫌な思いをしたのだ。
高校生の女の子に、人前でそんなこと言うか?!
アホ!アホ!アホ!

その後、何回か訪ねてきたのか知らんけど、私は「よっしゃん」には二度と挨拶にも行かなかった。
あの顔から火が出るような恥ずかしかった気持ちはいまだによく覚えている。


もう一人すごく印象に残っている人。
「やったらはん」。
祖父の幼馴染で年とってもずっと仲良しだったお爺さん。
「やったらはん」という響きが好きだった。
名前は、安太郎さん。
いつも「えっ?」というような表情でニコニコしている温和な人だった。

小学生の頃、親戚の人たちとの旅行にこの「やったらはん」も一緒に行ったことがある。
和歌山の湯浅というところだったと記憶している。
旅行を企画したのが釣り好きの叔父だったので釣りができて美味しい魚が食べられるところを選んだに違いない。
叔父たちは楽しかったか知らないが子供にはつまらなかった。
子供が楽しめるようなものは何もなかった。
なので全然楽しくなかったのだ。
その上、泊まった旅館も釣り人の宿で子供対応がない。
なのに無理してサービスしてくださったのだろう。
晩御飯にホットケーキが付いていた。
どら焼きの皮ぐらいの大きさのが2枚。
それを食べようとして一つとった時に裏側に何かが付着しているのが見えた。

えっ、えっ、えっ、えっ、えっ。
まさか、まさか、まさか、まさか、まさか。

でも、そのまさかだった。
ゴキブリの卵のようなものが付いていたのだ。

私はショックのあまり泣き出してしまった。
もう帰りたい!嫌やこんなとこ。
はよ帰りたい。
ここは何も安心できない。
帰りたーいっ。
・・・・・と、ひとしきり文句を言って、泣いた。
ようやく疲れて落ち着いた時に「やったらはん」の顔が見えた。
「やったらはん」は、やっぱり「えっ?」という表情でニコニコしていた。
なんだか優しかった。

大騒ぎしてごめん・・・とちょっと思った。









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