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子供が数学嫌いになってしまう本当の理由

◉数学自体は、理系学問の基礎にして王者であり、きちんと学べば、とても楽しい学問なのですけれど。数学教育というのは、一握りの天才を育てるのに必要なものを、凡人にも強要するのが問題でしょうね。そして実学の面を軽視しすぎ。自分自身も、数学は苦手なド文系の人間ですが、江戸時代の読み書き算盤的な文化と、地続きであるべきではと常々思っています。

【オランダの若き天才数学者が考える「子供たちが“算数嫌い”になってしまう本当の理由」】クーリエ・ジャポン

学生時代に難解な数学の問題に手こずり、「これが人生で何の役に立つの?」と疑問に思った人は多いだろう。弱冠20歳で博士号を取得した天才数学者ステファン・ボイスマンが、「本当に学ぶべき数学」をイスラエル紙に語った。

https://courrier.jp/news/archives/316740/?utm_source=article_link&utm_medium=longread-upper-button&utm_campaign=articleid_316752

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、リーマン予想周辺で登場する数式、だそうです。

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■実学軽視の問題点■

西村〝論破され王〟博之氏は、古文漢文なんて教師の雇用のためだけにあり無駄で、四則演算をちゃんと教えろとの、薄っぺらい教育論を打っていましたが。そういう雑な議論ではなく。例えば江戸時代、数学の教育書である塵劫記がベストセラーになったのですが。四則演算を教えても、その使い方・使い所を教えなければ、意味はありません。西村氏自身が批判する古文漢文を丸暗記する教育と、差がありません。

塵劫記が素晴らしいのは、その数学的な知識がどんな場面で必要なのかを、具体的にイメージしながら学べる算術書であったことでしょう。それは近代教育的な意味での、純粋な学問とは呼べない面もあるのかもしれませんが。しかしながら数学嫌いを生み出している原因自体が、実学の剣士であるのも事実でしょう。どこかのバカな県知事が、女の子がサインコサインタンジェントを学んでも意味がないと放言してしまうのも、根は同じ。Wikipediaの塵劫記の説明を引用しておきます。

命数法や単位、掛け算九九などの基礎的な知識のほか、面積、両替や利息計算などの実用的な計算、平方根・立方根の求め方など少し専門的なものを含めた。これ一冊で当時の日常生活に必要な算術全般をほぼ網羅できる内容であるが、学者ではない者にも理解しやすいように、等比数列をネズミが増える様子に例える(ねずみ算)など身近な話題をもとに解説しているのが特徴である。社会経済の発達に伴い、人々の生活にも基礎的な算術の素養が求められるようになってきた中で出版され、またこれに比肩するような類書がその後も出版されなかったことなどから、同書は版を重ね、江戸時代の算術書のベストセラーかつロングセラーとなった。

■公教育の意味と目的■

武術の世界だと、入門者に最初は地味できつい基礎訓練を教習することが多いです。それ自体はとても重要なのですが、なぜそれをやる必要があるのかを十分認識させないままやらせるので、辞めてしまう人間が多いです。ただこれは、武術は伝承することが重要なのであって、むやみに弟子の数を増やしても無意味ですし、ちょっとかじっただけの人間が増えすぎてしまったり、生徒の奪い合いになったりするのを避けたり、あるいは技術が流出するのを防ぐという側面もあります。

しかし義務教育などの公教育というのは、ある意味で社会の役に立つ量産型の人間を、大量に作るのが目的ですから。であるならば、数学嫌いを大量に生み出して脱落者を作るのは、本来の公教育の目的を達成できてないということになってしまいます。詳しくは上記リンク先を読んでいただくとして。数学者のステファン・ボイスマン氏もまた、実学としての数学、あるいは実際の生活に地続きの学問としての数学の重要性を、解かれていますね。

『公式より大切な「数学」の話をしよう』には、まさにそれが書かれている。本書には、産業革命以降、統計学や微分積分が、蒸気や電気で動く内燃機関の性能向上に用いられたことが紹介されている。また、超高層ビルが建設されているのも、近いうちに自動運転車に乗れるようになるのも、微分積分のおかげだという。

同上

数学者でありながら、こういう提言ができる人は貴重です。学者は得てして学者バカになってしまい、実用ということをバカにしがちですから。

■用法が解れば学ぶは楽し■

実用の理由がわかれば、学ぶ意欲も高まります。例えばMANZEMIの背景講座では、透視図法を中心に技術教えるわけですが。絵を描くという作業に、いかに算数や数学が重要かというのを認識する受講生が多いです。透視図法は幾何学がベースになっていますから、当然ですね。と言うか自分自身も、分数の計算が絵を描くのにとても重要とか、透視図法をちゃんと勉強し直すまで気づきませんでしたからね。透視図法の基本の3分割ですら、数学的証明が必要です。

誠文堂新光社『○×式で誰でもかんたん!! パースがわかる本』より

大工になった友人も規矩術という形で、大嫌いだった数学がものすごく大事だというのを、職業訓練校で学んだそうです。大工というのは職人の技術の世界だと思われがちですが、数学の塊ですからね。膨大な計算の上に、安全で長持ちする建物が生み出されるわけですから。サインコサインタンジェントだって、土木建築の測量には必要不可欠な知識ですからね。伊能忠敬の事跡を辿れば、分かります。歴史を学ぶ意味はここにあります。後編がコチラ。

【「数字や統計」は人を操るもっとも簡単な手段だ─オランダ人数学者ステファン・ボイスマンが警鐘】クーリエ・ジャポン

ステファン・ボイスマン(27)は16歳で学士号、18歳で修士号、20歳で博士号を取得した。この記録は世界最年少ではないが、母国オランダと留学先のスウェーデンでは最も若い数学の博士号取得者だ。現在はオランダのデルフト工科大学で准教授を務める。

『公式より大切な「数学」の話をしよう』を出版する前にも、ボイスマンは数学をテーマにした児童書を書いている。ボイスマンは数学、AI、哲学をテーマに研究を深め、学生への指導や講演もするかたわら、さまざまな企業に助言もしている。

https://courrier.jp/news/archives/316752/

児童書も書かれているというのは、ありがたいですね。

■道楽としての数学■

塵劫記が素晴らしい点は、ただ実用的な数学の知識を解説するだけでなく、遺題という形で正解を書かない問題を読者に示し、知的好奇心を刺激したことでしょう。この問題に挑戦する人が続出し、数学を楽しむ人達のサークルが日本各地に生まれ、日本独特の数学=和算が発達したという面があります。実用書からスタートしながら、純粋な学問としての数学への道も開いたわけです。

そうやって生まれた数学ブルームの結果、日本各地の神社には、難しい問題を解いた人がそれを絵馬というかたちで奉納しています。日本の数学は道楽として発展した、という面があります。道楽というと、悪いイメージを持ちがちな数学者もいるでしょうけれど。その結果、ベルヌーイ本人よりも早くベルヌーイ数を発見した関孝和のような、大数学者も生まれたのですから。道楽というのを安易に否定するのも、間違いです。

実用の書からスタートし、知的好奇心を刺激して結果的に数学の発展にも寄与する。これは一つの理想ではないでしょうか? 実用としての数学だけで十分な人もいれば、高等数学まで才能に見合った筋道を用意する。江戸時代の日本人にやれていたことが、現在教育ではやれていないというのは問題に思えるんですけどね。自分もいちおう教育者の端くれになるので、こういう問題に関しては、常に関心を持っています。最後に、御本人の著書もリンクしておきますね。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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