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稼ぐ集英社と消える書店

◉出版社は1995年をピークに、四半世紀も売上が落ちる一方だったのですが。昨年、コロナ禍による巣ごもり景気の一つとして、電子書籍の売り上げが圧倒的に上がった結果、25年ぶりに過去最高益を更新するという異常事態に至りました。90年代初頭の、出版業界が一番儲かっていた時期に現役の編集者であった人間としては、雑誌はバタバタ潰れているので、この結果には驚きしかないのですが……。今年も集英社を始め、電子書籍は絶好調です。

【「稼ぐ集英社」と「消える書店」出版の明暗【動画】 メディアミックス戦略が業績を大きく左右する】東洋経済オンライン

紙媒体が不況続きの出版業界において、大手出版社と取次と呼ばれる出版業界の卸売業者や書店の間の格差が浮き彫りになっています。

ヘッダーのイラストはnoteのフォトギャラリーより、猫が可愛いですね。

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■都市部と地方の現実■

自分自身は電子的には10年以上前から期待を表明しています。そう書くと必ず「自分は本屋での出会いが好きです(電子書籍は嫌いです)」などと、釈迦に説法マンが現れるのですが。本好きが昂じて出版社の編集者にまでなった人間に、素人が薄っぺらい知識と狭い見識で、マウントを取ろうとすること自体が大笑いなのです(毒)。そういう人で、自分程度のありふれた読書人以上に、印刷書籍の蔵書を持っている人は見たことないです。

また、そういうことを言ってくる人の多くが、大都市圏の恵まれた書店の状況にあぐらをかいているという自覚が、ほとんどないですね。地方都市なんて10万都市でさえ、雑貨屋の一角に本が置いてあるだけの小さな書店も含めて、市内に十店舗なかったりしますから。その本屋で出会いなんかありません。鹿児島県の離島出身の友人など、世の中には漫画雑誌はジャンプとマガジンとリボンしかないと、本気で思ってたそうですから。うちの田舎の最大の本屋だって、池袋のジュンク堂の一階ぶんぐらいの売り場面積しかありません。

そのような都市部と地方の、文化格差を真剣に考えれば、電子書籍の存在というのはものすごく大きいのです。郊外型の大きな書店がある都市部の人間が、本屋での書籍との出会い云々というのは、遊園地もロクにない地域の人間に、ディズニーランドの素晴らしさを説くようなものです。それがものすごく失礼な物言いであるということを、少しは自覚して欲しいんですけどね。現実問題として、出版社と取次と書店の制度は、大手出版社と都市部に有利にできています。

■ないがしろにされる書店■

先日もツイッターで、とある書店が取次にいくら頼んでも入れて欲しい本は増えず、逆に欲しくもない本は押し付けられるという現状を嘆いていましたが。取次会社にとって一冊の本の利益は、10%かそこらでしかないです。1000円の本であってもいいとこ100円前後。一冊の本を2冊にしてほしいなどという要望に応えても、得られる利益よりもかかる手間の方がよほど大きいわけです。なので、無視。都市部の大型書店ならば、そういう部分での品揃えが全然違います。でも地方の小さな書店では……。

そういう小口の需要部分を、取次はAmazonに任せる方向にシフトしています。自分達は大口の、利益率の高いものを独占し、Amazonの膨大な宅配の流通に載せることで、1冊や2冊の小口の需要をカバーできる。そんな独善的な手法が長続きするかは疑問ですが。ますます本屋はその立ち位置がキツくなりますね。ただ、逆に言えば地方の小さな書店は今後、Amazonの迅速な品揃えと配送能力に乗っていく形になるでしょう。本の集約ステーションとして、地方の本屋は生き残るかもしれませんが。

もうひとつ、出版社が書店化するかもという部分。それは売買ではなく、自社の本の宣伝の場として、どれだけリソースを割けるか。各本の担当が熱量を持って本を宣伝できるか。ときどき、Twitterでバズった作家に声を掛けるけれど、フォロワーが3万人以上になったら本を出してあげるとかほざく、殿様商売のWeb系出版社の話が流れてきますが。んなアホなところと仕事しちゃいけません。自分でAmazonのアカウントを取って、自費出版した方が、よほど確実です。なんなら、ウチの講座を受講したら、サービスでノウハウは教えますよ。

■音楽で既に実証済みの世界線■

でも電子書籍ならば、そういう一冊からの需要から答えることができるわけです。「紙の本の手触りが〜」などと、釈迦に説法するのはいい加減にしてほしいです。別に自分は釈迦ではありませんが。作家の側からしても、欲しい読者はいても重版がかからず在庫がない、在庫があっても手元になかなか届かない、そんな状況に比較してワンクリックで購入できる電子書籍は、とてもありがたい存在です。ある漫画家さんが Twitter でバズったときも、過去の作品が全部在庫切れになっており、電子書籍のおかげでどれほど苦境が救われたか。

むしろ紙の本の良さを説く人から、地図はやはり紙の方が視認性が良いとか電池切れを心配おしなくて良いとか、子供向けの図鑑などはやはり紙の方が子供の情操教育や実在感の認識などという点でも有効である───なんてレベルの高い話は聞こえてきません。そういう話ができるのは、専門の研究者であったり、自分も尊敬する名編集者であった山田五郎さんのような、深い見識や本作りの経験のある人だけです。ジーンズショップの凋落と共に、ボブソンやビッグジョンや EDWIN といった国産ジーンズメーカーが左前になったように。取次という流通システムの限界が来てるわけです。

書籍より先に音楽がそうやって、デジタル化とダウンロード販売が普及したわけで。あの時も「音質が〜」とか「実際に形のある物を手に持ってる安心感が〜」とか、ワンパターンの批判。CDが出てきたときも、ほぼ同じ批判が繰り返されました。音質が〜ジャケットの芸術性が〜。歴史に学べば、電子書籍への批判は、だいたいが受け売りのワンパターン。古書コレクターと違って、自分は本の中身の情報が大事であって、ただの所有欲とは、縁遠いんですよね。まぁそれでも、本当に素晴らしい本で、繰り返し読む本は紙で買いますけどね。

■書店の未来と展望■

Amazon が電子書籍の一冊からの販売にも対応し始めたように、そのようなきめ細やかなサービスの方が、将来的には現行の取次システムを、駆逐するのは確実でしょう。全国各地のコンビニエンスストアでオンデマンド印刷して販売する形も、十分にあるでしょう。書店での出会いの機能自体は、映画館と一緒である程度の淘汰が進んだ結果、ある程度のところで下げ止まるでしょうから。書店自体がなくなるかといえば、それはないでしょう。特に、県庁所在地や3万人以上の人口がある都市ならば。

本との出会いの場は、自分は SNS に移行すると思っています。実際、自分の疎いジャンルに関しては専門家や見巧者の人が勧める本で、あたりって多いですからね。漫画にしても小説にしても、SNS 上で作品を発表して、出版社や取次や書店を通さず、スマートフォン上で電子書籍専門サイトから購入するという形が、主流になってしまうのではないでしょうか。それがいいか悪いかは未来の人間が決めることであって、紙の本に慣れて条件付けられた自分たち年寄り世代が、あれは正しいあれは間違いなどと、決めつける方が傲慢でしょう。

逆に言えば、そういう見巧者を見抜く見巧者が必要なんですが。でも、それさえできない人が「本屋での意外な出逢いが〜」とか、お洒落でくつろげるイタリアンがあれば地方に移住してくる云々の、平田オリザ氏の言説と同じレベルです。noteのような、Twitterよりもディープに書籍解説できるSNSは今後、生きてくるでしょうし。コツは食べログと同じで、星の数なんか信じないこと。自分が食べて美味しかった店を、良い部分も悪い部分もちゃんと評価してる人のオススメを食えば、6割以上の打率になるように。先ず、あなたの好みを把握することが軸かと。

ということで2021年の本格的なnoteはこれにて終了です。皆様、今年はたくさん付き合っていただき、ありがとうございました。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ