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宮崎駿監督の思想変遷

◉去年の10月12日に連続ツイートした内容が、今頃リツイートされたので。金曜ロードショーで『もののけ姫』が放映されたせいですね。読み返したらなかなかの長文だったので、noteに加筆修正してまとめておきますね。発端となったのは、竹熊健太郎さんのコチラのツイート。別に宮崎駿監督という権威に屈してるわけでもなく、作品と作家は別という意識が、左派より右派の方が有るのかもしれません。

パヨクはともかく、ネトウヨは定義が曖昧な言葉ですが。左派の党派性丸出しの思考を、自分は度々批判してきましたが。作品というのは作者の表層意識とは、乖離していることがけっこうありますし。コチラの、岡田斗司夫氏による『もののけ姫』解説が非常に参考になったので、つぶやいた内容ですが。宮崎駿監督の思想の変遷と矛盾などについて、簡単にまとめてみますかね。

ナウシカ解説も含め、岡田斗司夫氏の解説はオススメです。飛躍や独断と偏見も多いですけどね。やはり、この人はかなりの見巧者なのは動きません。

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■原始共産制と狩猟採集■

共産趣味(金持ちのボンボンが大学で赤くなるけど、本気ではないので共産主義ではなく共産趣味)の理想として宮崎監督は当初、農耕社会を称揚し、科学文明を否定的に捉えていました。でも、文明って安易に否定できない面があります。初監督作品である『未来少年コナン』でも、コナンたちが残され島に集団移住しようとすれば、農耕・牧畜・漁業・養殖・織物・冶金などは必要ですからね。

作品的には中弛みとされるハイハーバー島編では、コナンたちがそれを修得する場面が描かれます。原始共産制のイメージなのでしょうけれど、そもそも農耕自体が人類最初の自然破壊との指摘もある訳で。本来なら多様な草木が生い茂る土地に、小麦だけ・トウモロコシだけを集中的に栽培するのは、多様性を否定した、大地からの収奪なんですよね。自然と共存するなら、狩猟採集の生活を理想としないといけないです。

そもそも、皆が平等で協力して生産していた原始共産制自体が、幻想ですから。狩猟採集時代から、王=群れのリーダーが必要なのは類人猿や多種多様な動物の観察でも推測できること。なので『もののけ姫』で間接的に、自分と高畑監督の共産趣味を宮崎駿監督、否定しているんですよね。コナンからナウシカを経て、もののけ姫である程度の文明は必要という、アメリカのアーミッシュ的な部分にポジション替えた。だって農業って、自然破壊だし。もっとも高畑監督は、最後まで捨てていないけれど。

■ナロードニキの限界■

そもそもアーミッシュって、アメリカに移民した頃の17世紀頃の文化のまま、文明を否定して止まっている(というのは建前で、実際にはイロイロと文明を採り入れていますが)。でもアーミッシュって、キリスト教が生まれた2000年前の文化に回帰してるわけじゃないんですよね。進みすぎた文明は危険だし不安もあるので、漸進的に文明を採り入れる。そういうのを一般に「保守」と呼ぶのですが……。

そう、宮崎駿監督、革新的な共産主義を突き詰めたら、保守が正しいという結論に。ナウシカには民の生活が描かれていない───と批判して、30点と評価した高畑監督ですが、『平成狸合戦ぽんぽこ』では、侵略された狸の側が最後は人間に妥協し共存するするという、落ちを持ってきていました。侵略された側が妥協してくれって、それはリベラルとしていいんですか、という話です。

ここら辺が、都市生活のインテリのくせに、農村共同体を基礎にした新社会建設を目指し、農村生活を称揚するナロードニキの限界。要は、わたし(=親は岡山の名士で自身は東大卒のインテリの高畑勲監督)指導する人・あなた(農民や商工業者)指導される人という、無意識の上下意識があるんですよね。御本人は否定しても。ナウシカもクシャナもラスベルもアシタカも、王族ですから。学習院で皇族に接した宮崎駿監督も、宮崎航空興学の経営者一族という、上級国民ですしね。

■製鉄と農耕という文明■

で、ぽんぽこに対する宮崎監督のアンサーが『もののけ姫』です。アシタカの国(村落共同体)は、農耕以前の狩猟採集生活文化として描かれ、農耕以前のさらに原始共産制な社会を理想化しています。『未来少年コナン』や『風の谷のナウシカ』よりも、もう一歩踏み込んではいます。でも、狩猟採集生活が自然と調和していたかと言えば、そんなこともなく。そもそも狩猟採集生活でも、人類は必要ない量の動物を多量に殺し、種によっては絶滅に加担した可能性が指摘されています。

狩猟採集生活でも、それは原始的文明であって、自然破壊と無縁ではないのです。そもそも、岡田斗司夫氏も指摘していますが、『もののけ姫』のタイトルバックに映るのは縄文の土面。本作が元々は『アシタカ聶記』というタイトルだったことを思えば、この土面はアシタカ王に擬したモノという岡田斗司夫氏の指摘は正鵠。そこで表現されるのは、1つ目の異形の王の姿です。

日本古来の、砂鉄を溶かして鉄を得る蹈鞴(たたら)製鉄では、火の温度を覗き穴から温度の変化を炎の色で判別するため、村下(むらげ)と呼ばれる指揮者は、片目を失明しやすいとされます。また、鞴(ふいご)を脚で踏むため、片足を痛めやすい面も。全国各地で、片目片足の山に棲む妖怪ヤマンジイの伝承がある地域は、蹈鞴製鉄に地域と重なるんですね。また鉱山開発が盛んな甲州の、山本勘助が片目跛行なのもこの繋がりです。

■文明批判からの転換■

故郷を追われたアシタカは、稲作と米食に加え、製鉄の技術を知り、これを故郷に持ち帰り、ある種の白人酋長として稀人になる。それがアシタカ聶記───アシタカ王の口承伝説。つまり宮崎監督は、文明の全否定はできないことを、ここでサラッとカミングアウトしているんですね。元々、ナウシカでも文明の象徴である「火をちょびっと使う」と、文明を全否定できていないんです。

ギリシャ神話ではプロメテウスが人間に火を与えて知恵と文明を蓄積する端緒を与え、そにためにゼウスから肝臓を毎日ハゲタカに喰われるという、重い罰を与えられますが。火というのは正に、人類が手に入れた高度な文明の、第一歩です。火によって人類は焼畑もできるし、金属を精錬もできるようになった訳ですから。

宮崎駿監督は元が、ミリタリー大好き人間ですから。共産主義の理念からすれば、原始共産制度への回帰を理想化すべきなのですが、本音部分は文明の利器大好きで、そこと矛盾を来している。それは『未来少年コナン』の頃から変わらないです。アメリカ移民当初の生活様式を維持しているアーミッシュも、実際は風力発電とか採り入れているわけで。それと同じなんですよね。

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以下は有料です。無料部分で充分、論点は出ていますし。有料部分は大した内容ではないので、興味がある方だけどうぞm(_ _)m

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