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あるるもさんとBURRN!と聖飢魔Ⅱと

◉東京都高等学校文化祭の第31回中央展(主催:東京都教育委員会)で、女子高校生のHNあるるもさんが奨励賞を萌え絵で受賞したら、予想どおりツイフェミが攻撃を加え、炎上しました。事前に予想されてたとは言え、あまりにテンプレートどおりの脊髄反射ぶりに呆れました。本来のフェミニズムは、女性への抑圧を解放し、自由を押しひろげ、不平等を撤廃する運動であったはずなんですが……。

令和の世ではフェミニストは、すっかりフシダラ憲兵になってしまい、むしろ女性を旧来の倫理観や価値観に押し込めようとする、保守反動と見分けが付かなくなっています。なぜこんなことになったのか、音楽誌BURRN!とヘビーメタルバンド聖飢魔Ⅱとの歴史的な和解と併せて、ちょっと書きますかね。自分は音楽に疎いので、音楽に詳しい人には粗が多い雑文でしょうから、その点はご容赦を。

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■印象派の誕生とパラダイム・シフト■

偽史学者の原田実先生が、興味深い指摘をされていました。「萌え絵受賞騒動を見ていて印象派の誕生を思い出した」と。写実性を価値としてきた絵画が、カメラ・オブスキュラから現代に繋がる写真機の登場によって、アイデンティティ・クライシスに陥ったことが原因で、印象派は生まれました。精確(正確ではない)な描写では、絵画は写真に敵わない。新技術によってそれまでのパラダイム──支配的規範になるモノの見方や捉え方──が崩れた時代に。

このままでは、絵画は写真の下位概念に置かれる。ところが、東洋の島国から陶器の詰め物として、奇妙な絵が届く。同じ三角錐の山を描いた木版画なのに、あるときはなだらかな稜線を見せ、あるときは急峻で他者を拒むような稜線に。またあるときは青空と鰯雲を背に、真っ赤な山体を堂々と晒す。それは写実ではないが、間違いなく時間や状況によって変わる印象、心象風景の中の山嶺を描いている、と。これこそ絵画にしかできない表現! こうして、印象派が生まれた訳で。

もちろん、旧来の価値観とパラダイムに囚われた人々には、新しい価値観は受け容れがたい。でも、キリスト教の価値観が支配していた中世は、ルネッサンスによってキリスト教伝播以前のギリシャ・ローマの価値観が再生されたわけで(細かいことを言い出すとややこしいのでザックリ通説です)。旧来の価値観を壊し、刷新することが是とされる文化が生まれたわけです。天動説対地動説、創造論対進化論などなど。

■反体制活動は反キリスト教文化■

日本人が思う以上に、欧米でのキリスト教の頸木は大きいわけで。そもそも、ルーツのユダヤ教は、中東の厳しい環境の中で生まれた宗教のため、禁欲的です。ポンポン子供を作ってたら、たちまち困窮する。でも、民族宗教として故郷なき流浪の民が滅びぬよう「産めよ増やせよ地に満ちよ」という教えもあって、その矛盾を禁欲によって制限してる。弱者の宗教としてローマ帝国に浸透したキリスト教の、この禁欲性が合った部分もあるでしょう。

ルネッサンスや地動説、進化論などがキリスト教の価値観とぶつかって、なんとか大勢派になることで、社会は変わってきたわけで。それが、男女の倫理観にも及ぶのは、当然でしょう。アメリカでは1948年と1953年のキンゼイ報告で、赤裸々な性の実態が報告されて、保守的な男性は大ショックを受けます。さらに女性の社会進出がウーマン・リブ活動として、1960年代後半に活発化します。

小説家のリチャード・マシスンが『縮みゆく人間』を1956年に発表したのも、女性の社会進出で男性の居場所がなくなる恐怖の反映という解釈も。フェミニズムの大家である上野千鶴子御大は【上野千鶴子「人はなぜ不倫をしないのか。私には信じられない」】と、旧来の倫理観を疑い、ぶち壊すことを提唱したわけで。本来のフェミニズムは、女性の自己決定権と性の自由や開放を勝ち取る部分があったのですが。

■ロックが反体制だった頃■

本来は保守派の伝統文化としてあったメインカルチャーに対抗する、カウンターカルチャーとして革新系は存在していました。その流れで、ベトナム反戦運動や黒人の公民権運動、ヒッピーの反体制活動とかがありました。大友克洋先生の作品に見られる、フリーセックスやドラッグ文化なども、保守派の禁欲的な態度への、対抗としてありました。しばき隊の後継団体がC.R.A.C.と、麻薬の一種のクラック・コカイン(crack cocaine)っぽい名称の理由。カウンターカルチャーはモラル破壊がテーマのひとつ。

ロックンロールも同様で、元はチャック・ベリーなどの黒人文化を母体に、エルビス・プレスリーが出て一気にメジャーな存在になりましたが。プレスリーの腰を振る動きが不道徳だと、保守派からは批判されまくったわけで。プレスリーのレコードを逆回転で聴くと神を呪う言葉が聞こえるとか、オカルティックなトンデモ発言が出るのも、キリスト教文化へのカウンターカルチャーとして、ロックが出てきたから。

ビートルズのジョン・レノンが「キリスト教は消えてなくなる」「僕らは今やイエスより人気がある」と発言(キリスト発言)して大問題になったのも、代表曲『イマジン』が天国などないと無宗教を思わせる内容なのも、そういう宗教的倫理観との対立の、歴史と文化背景があるわけです。それが解ると、樫原辰郎監督のこのツイートの意味も、すんなり理解できるでしょう。

■零落する元カウンターカルチャーたち■

そう、萌え絵女子高校生こそが、令和のカウンターカルチャー。ところが、60年代から70年代に主流だったカウンターカルチャーは、共産主義国の監視社会や独裁政治、人権弾圧がばれ、学生運動の果ての連合赤軍の総括リンチ殺人事件(山岳ベース事件)で、一気に退潮。学生運動はセクト化して、左翼同士で内ゲバ殺人を繰り返し、一気に大衆の支持を失います。ロックも商業主義に堕し、零落します。

そして零落した元カウンターカルチャーは、サブカルにカテゴライズされるようになり、80年代や90年代生まれの若い世代から見たら、野間易通尊師などの左派はイキリヲタにしか見えないという状況が出現ます。もっとも零落した元カウンターカルチャー側は、自分たちは零落もしていないしサブカルでもないという、矜持を持ってるつもりなんですが……これも外野から見たらただの傲慢、思い上がりに過ぎません。

彼らのズレた認識の理由は、コチラ↓のnoteでざっくり説明しておきました。「これは性的だけしから〜ん!」と、ツイフェミがかつての保守派のようなことを言う矛盾。かつてはローカルチャーと馬鹿にしていた漫画やアニメが世界に認められ、大学で学科も誕生するハイカルチャーの仲間入りをする現実は、落ちぶれた側には受け容れがたいのでしょうけれど。彼らは元々、アッパークラス出身だったり高学歴だったりで、反権力や反体制を口にしながら内実は権威主義だったりします。

※以下は有料です。ここまでで概要は掴めたでしょうし、たいした内容ではないので、興味のある人だけどうぞm(_ _)m

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