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戦後日本統治が上手く行ったのは原爆でなく文化人類学のおかげ?

◉倉本圭造氏のX(旧Twitter)のポストが、話題になっています。かなりの長文ですが、興味深いです。イスラエルとハマスとの関係や、ロシア連邦とウクライナの関係を考えるに当たっても、武断政治と文治政治の問題を考える上でも、非常に重要な視点です。ルース・ベネディクトの『菊と刀』は、今日的な学問水準からすれば、批判されている部分はあります。しかし、80年以上前の研究水準を考えれば、やはり画期的でしたし。日本人が無自覚であった自国文化に対して、貴重な視点をもたらしたと言えます。

パレスチナにおける戦争(というか虐殺)を擁護する文脈で、「米国が原爆で戦争を終わらせたようにイスラエルも何でもやるべき」とか言う欧米人が増えてるんですが、それに私達日本人はどう対処すべきでしょうか?一言でいうと「戦後日本統治が上手く行ったのは原爆でなく文化人類学のおかげ」というメッセージこそが今必要とされているんじゃないか?という話をします。



例えば米国上院議員のリンゼー・グラム氏などが有名ですが、アメリカが邪悪な大日本帝國を原爆でこらしめてやったように、イスラエルも邪悪なハマスとかいう奴らを徹底的にやっつけるためにどんな手段でも使うべきだ…というような発言をする流れが今欧米の一部にあります。

イスラエル当局も非公式にはそういう発言を繰り返している事が伝わってきており、パレスチナにおける「一方的な殺戮」を正当化する理屈の中には、「日本も徹底的に痛めつけることによって、欧米から見て扱いやすい”従順な優等生”になったじゃないか」というような発想がどこかにあるのは間違いない。

こういう情勢に対して私たち日本人はどういうメッセージを出していくべきでしょうか?

https://x.com/keizokuramoto/status/1799268615805653402

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、原爆ドームの写真です。

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■戦争と文系の学問■

詳しくは、上記リンク先の全文を、ぜひお読みいただくとして。原爆を投下して捻じ伏せるだけでは、占領統治は上手くいかない。相手への理解がないと、怨恨の禍根を残す訳で。何度か指摘してるけど、文系の学問が実用になるのって、実は戦争の時なんですね。文学や芸術とは畢竟、人間の心をどう扱うかの、学問ですから。平時にはそこが見えず、また社会学者とかデタラメなイデオロギストが蔓延ってるので、隠れちゃうんですけど。だから論破され王のように、薄っぺらい古文漢文不要論が出てくるのですが。

当時はアメリカ軍の情報将校だったドナルド・キーン氏は、行書や草書も読め、日本兵の手紙を解読し、表に出ない軍内部の空気や心情から、内情を分析したとか。論破され王、行書はまだしも草書なんか読めないでしょうね。日本文学科だった自分は、藤原定家の写本を読む講義を受けましたが、定家様と呼ばれる癖字というか悪筆は、自分でさえ四苦八苦。でも、16歳でコロンビア大学に入学するような、天才的な才能を持ったキーン氏は、日本の古典を原書で読み、崩し字を読みこなし、第一級の日本研究者に。

例えば、日本の文化を研究した米軍は、日本軍が陸軍記念日や海軍記念日をはじめとする、軍の歴史にまつわるナントカ記念日に総攻撃を仕掛けてくることに気付いたわけで。この情報を得るだけで、兵士の損耗はグッと減るわけで。野村克也さんが、投手のクセから内角に投げるか外角に投げるか判るだけでも、打者としては確率が上がってありがたいと、語っておられましたが。それと同じです。そして、そういう記念日に手柄を立てようって心情はなんのことはない、松任谷由実『アニバーサリー』や俵万智『サラダ記念日』と同じ、特別な日に特別な思いを抱くという、乙女ティックな心情を、日本軍も共有しているわけで。

■大和魂の意味は?■

そもそも、武人が辞世の句を詠むのを、欧米人は驚いたわけですが。万葉集には天皇から貴族や文人はもちろん、詠み人知らずと記されて庶民も、和歌や連歌を残しています。欧州だと、古代ギリシアのサッポーという、伝説の女性詩人はいますが、紀元前7世紀の人で、実在は疑わしく。でも日本だと、1300年以上前の、庶民の女性まで詩を作り、出来が良いと作品は残る。欧米の女性作家とか、17世紀になってようやくですが、日本だと清少納言や紫式部が、1000年前に文芸サロンを形成していたわけで。

大和魂というと、何やら軍国主義的なイメージがありますが、本来は花鳥風月に心を動かし、人の心の機微に涙する、繊細な感受性の意味に近いです。万葉集や枕草子、源氏物語を分析し、そういう部分を把握するのが、戦争です。クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』で、栗林中将を演じた渡辺謙さんが、台本にはなかった『散るぞかなしき』の辞世の句を詠むシーンを入れるよう主張したのも、彼我の文学観の違いを表す部分として、とても重要だからです。日本人がロシア文学やショパンの楽曲に惹かれるのも、ウェットな部分が日本人の感性に合うから。

敵性語禁止、なんていかにも大衆が考えそうな情緒的な反応を、アホなマスコミが推して、政府も流され、国全体に広げた日本と。文化人類学者まで動員し、徹底的に日本を分析したアメリカ。物量の差で負けたというのは、国粋主義者の浅薄な理解です。戦争という、ゴリゴリの合理性が求められる場面で、玉砕とか転進とか、情緒的な言葉で本質を誤魔化していては、国家滅亡の危機です。実際、未来を担うはずの若者の命が多数、戦場で散り。主要都市を焼け野原にされ、原意爆弾を2発も落とされ、まさに国が滅びかけたのですから。

■孫子の兵法に学ぶ■

孫子が『兵者國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也(兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり)』と語ったように、戦争とは国家の存亡にもつながる、危険な賭けです。安易に選択すべきものではないです。孫子はまた、『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、 敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む。』と語っています。これを正にやって、滅びかけたのが日本です。昭和16年の夏に、若手官僚を集めて、日米開戦のシミュレーションをやらせた結果、緒戦は奇襲で優位に立てても、国力の差でジリ貧、最後はソ連が参戦して必敗という、恐ろしく正確な予想でした。

でも、「戦争はやってみないとわからない」などという精神論で、まさに先ず戦いて而る後に勝を求むの負け戦を実行したわけで。2500年前に、まさに日本の敗戦を言い当てたような、簡潔にして的確な一文を残したからこそ、孫子は名著足り得るわけで。物語の世界では、頭でっかちのエリートの理屈より、庶民の直勘が正しかった……というパターンが好まれますが。現実は、学識豊かなエリートの推測が正しかったのですから。日本保守党の漢文不要論とか、自分が賛成できない理由です。そんなこと言ってると、また戦争で負けますよ? 敵性語禁止レベルという理由です。

日本人のこういう情緒は、世界的にも早い文学の開花を促しましたが、同時に感情論が先走り、是々非々の議論ができない悪癖を生みました。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ってやつですね。共同親権問題も、離婚したら顔も見たくないって、感情論が先走るからなんですよね。日本の場合は、右も左も、この言霊に支配され、支配されている自覚もなく、飛躍した論理で議論を重ねますから。自分は保守派ですし、文学やその他の表現を愛するものですが、でも論破され王やホリエモンや日本保守党など、ベクトル違いの情緒論には、与しないです。


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