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「名乗る」ことで変わったこと|人生の第三章を生きる

3/22のコーチングまとめ。

「ぽやぽやエッセイスト」と名乗ったら道が開けた

「ぽやぽやエッセイスト」を名乗って1週間と少しが過ぎた。

肩書を付けただけなのに少しずつ心境に変化が訪れていて、「何かを名乗ることの影響力」を感じている。

まず、書けることが増えた。今までは自分の心の深掘りとコーチングのまとめが主だったけれど、普段の何気ない話も書けるようになってきた。書くことに慣れたのもあるのだろうけど、「何を書いてもいい」と思えるようになってきたのが嬉しい。

コーチは「人生がコンテンツ化してきた」と言ってくれた。

そして、note以外の場所でも書きたくなった。「エッセイスト」として活動してみたくなったのである。探してみると、エッセイのコンペだったり投稿者を募集したりしている媒体がいくつかあった。いくつか見繕って応募してみようと思っている。

今、自分が前に進んでいることがとても嬉しい。泳いでいる手ごたえを感じる。

今まではずっと、目標も目的もなくただ流れていくだけだった。「私なにやってるんだろう」「もっと楽しく生きたいのに」と心の底で自問しながら生きていくのはつらかったなぁと今思う。短期的に楽しいことはたくさんあったけれど、目標のない人生はやはり真っ暗で味気ない。とは言えただがむしゃらに働くことも私にはできなかった。悶々としていた。

自分と毎日向き合うようになって、自分にできること、やりたいこと、やりたくないこと、自分だけの幸せのかたち、などが少しずつ見えるようになってきた。ようやく「自分の人生を作っている」感覚を得た。

今が一番楽しいし、一番幸せだ。


人生第三章の幕開け

コーチと話したのだけど、子どもの頃につらい思いをいっぱいしたのは「不幸の詰め合わせセット」だったからじゃないか。だから、これからの人生は「幸せの詰め合わせセット」だねって。

実は学生の頃、20歳で人生終わると本気で思っていた。でも、20歳の誕生日が過ぎても全然そんな気配はなくて、「あ、これ続くやつだ…」と思った。がっかりしたような安心したようなよくわからない感情が沸いたのを覚えている。

もしかしたら、その時に第一章が終わったのかもしれないよ、とコーチは言った。

確かにちょっとわかる。

「不幸の詰め合わせセット」の第一章が終わって、今は第二章、いや第三章くらいの気持ちでいる。

ちなみに第二章は生きづらさに気付いて解消するまで。第三章の今は、「自分の人生を作る」フェーズだ。私がただ私自身として人生を生きるフェーズ。何者でもない、ただの私。何かになろうとは思わない。だって、私には十分足りているから。

子どもの頃からずっと「足りない」「もっとやらなきゃ」ってもがいてきて鬱にもなったけど、とっくに足りてたのだ。なんなら持ちすぎてた。ただ人生の難易度設定を高くしすぎて溺れそうになっていたのだ。

私に本当に足りなかったのは、「自分を認めること」だった。

「誰かに認めてほしい」「認められない私には価値がない」とずっと思い込んでいた。でも、「認めていない」のは自分自身だった。

他でもない自分自身が受け入れられなかったから、誰かが褒めてくれても耳をふさいで必死に否定していた。信じられなかったし、受け入れるのが怖かった。

信頼できる人たちの声におそるおそる耳を傾けて、「彼らの言うことなら」としぶしぶ「周りが認めている自分」を受け入れてみた。もらった言葉を繰り返しインストールした。そうしたら生きることがとても楽になった。

「私、ちゃんとできるんだ」「ダメな子じゃなかったんだ」と思えるようになった。

正直、最初は怖いし心の傷にしみたしで泣いた。でも、よかった。救われた。

この先、多分自分を責めすぎて病むことはないだろうなぁ、と思う。

今は自分を認めてあげられるし、できないこともあるけど人間だからしょうがないし、これって愛嬌やん?かわいいやろ?くらいに思っている(ちょっと強気な言い方だけれど 笑)。

それに、私には信頼できる人たちがいるのだ。一人じゃない。


パンドラの箱は開けなくてもいい

自分と向き合うことを続けて自信がついてきて、「もう過去のつらいことも開けてみて大丈夫じゃない?」と思って先日開いてみたらひどい目にあった。闇に引きずり込まれて過呼吸になりかけた。私にはまだ手に負えないと痛感した。

その話をしたら、「そもそも開けなきゃいけないのかな?」となった。

私としてはいつか解消したい箱だったのだけど、普段の生活に支障がないなら放っておいてもいいのではないか?と。

確かになぁ、と納得した。

私の気持ちとしては、「過去の箱」に今までの自信のなさや対人への不安感の原因などが入っているので解消できたらいいかも、と思っていた。でも、開けなくても自信をつけたり対人不安を解消したりすることはできる。過去のトラウマを開けても開けなくても、生活は変わらない。

開けなくてもいいのだ。

「つらさはいつか乗り越えなくちゃいけないもの」と思いすぎていたのかもしれない。乗り越えずに避けてもいいし、フタをしておいても全然問題ないのだ。

乗り越えなくていい。乗り越えなくていいんだ。



人と暮らすことについて

いきなりだが、私は同棲して3年ほど経つ。

お互い協力して、とてもうまくやっていると思う。

が、私自身は一人の時間が必須でフラフラとどこかに行きたくなるタイプだ。他人とずっと一緒にいるのは息が詰まる。端的に言うと、「自由がないと死ぬ」タイプだ。

コーチも同じタイプらしく、「よくやってるなーと思う」と言われた。「無理!ってなっちゃう」らしい。わかるよコーチ。

もちろん、「一人だったらなぁ」と思うことは今もあるし、一人で出かけるのを遠慮してしまうことは少なくない。それでも私が同棲生活を続けられるのには理由がある。

彼は懐が深く、私が何をしても否定しないのだ。私が突然新しいことを始めてもあたたかく見守ってくれるし、メンタルがぐちゃぐちゃになってボロボロに泣いてもちゃんとそばにいてくれる。私のやりたくないことは尊重してくれるし、一人の時間が必要なこともわかっていて、ちゃんと放っておいてくれる。

何より、恋人とか異性である以前にひとりの人間として大切にされている感じがするのだ。この「ひとりの人間として」というのが本当にありがたい。言うなれば私の安全基地。だからこそ、私は安心して自分がやりたいことをやれている。

感謝しないとなぁ…。


その他

コーチの話を聞いていると、毎度楽しそうすぎて「なぜ私はその場にいなかったんだろう…」と真剣に思う。

愉快すぎるのだ。無敵じゃんこの人、と思う。

面白い人は、大好きだ。

あ、RRPGの話、noteに上げないのかなぁ…?面白かったのになぁ…。

もし上がった時読めるように、コーチのnoteのリンクを貼っておこう。

めちゃくちゃ面白い人なので、ぜひ読んでみてほしい。

私の大好きな面白い人同士が繋がったら、こんなに嬉しいことはない。



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