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『余白』をつくることにした。

こんにちは。


私がこの書き出しでnoteを書くのはどれくらいぶりだろう。

もしかしたら初めてかもしれない。




しばらく考えていたことがあった。
考えても仕方ない、と一蹴されそうなことを。



どうしてみんな、一生懸命働いているのに楽にならないんだろう。

どうしてみんな、死にそうな顔をしているんだろう。

どうしてみんな、時間がないんだろう。

どうしてみんな、余裕がないんだろう。


どうしてみんな、息のつまるような世界のままで生きているんだろう。




2021年の3月から社会と距離を取って過ごしてきて、私は少しずつ自分のことが分かるようになってきた。



自分の大切なものや本音を理解し、受け止められるようになってから改めて接した世界は、相変わらず窮屈だった。



真面目で、社会に適応して働けていて、私より安定もお金も持っているはずの人たちが、どうして幸せじゃないんだろう。



本当にやりたいことじゃないからなのか。

人間関係に問題があるのか。

それとも適性と合っていないからなのか。

それとも…?




結論は出なかった。だって私はその人たちじゃないから。



だから代わりに、私は私がやりたいことをやろうと思った。

私が何かをするのを見て、何かを感じてもらえたらいいやと思ったのだ。



世界を変えるのは容易ではない。なら、自分が変わるだけ。

いつもの、ごくありふれた方法である。




私は、何を隠そう「社会の役に立つ」という言葉が嫌いだ。

人が喜んでくれて「面白かった」とか「有意義だった」とか言ってもらえるのはめちゃくちゃうれしいけど、今までの反動なのか「社会の役に立つ」という言葉を聞くと反発心がむくむくと湧きあがってくる。


しゃらくせぇ、知るもんか!!と言い返したい気持ちになるのだ。



なので、社会の役に立たないことをしようと思った。


役に立たないことをして何になる?と言われる予感に満ちた言葉だけど、「役に立ちそうなことばかりして何になる?」と私は言いたい。


社会で役に立つことが、必ずしも、人生を豊かで幸せなものにするわけではないから。




私は自由を得た。
けれど、世界は今日も変わらない窮屈さで回っている。

針の通る隙間もないような窮屈さで。



だから私は、世界に「余白」を作ることにした。

正確に言うと、「人が余白を感じられる場所」をつくることにした。



余白とは、スキマであり、一見ムダなことであり、幸せと可能性の扉。

「役に立つ」「社会に貢献する」ことばかりが賞賛される社会の中で、私は「役に立たないこと」「社会に貢献しないこと」を真っ向からやろうと思う。



「余白」こそ、人が取り戻すべきものだと思うから。




具体的な取り組み(予定)

・定期マガジン『yohaku(仮)』創刊

・noteサークル『すぺーす、(仮)』の立ち上げ

・毎日に余白をつくるための活動

・ゆるい毎日を生きるためのお話し会(交流会みたいなもの)

・その他いろいろな思いつき




(仮)の多いこと。でも、それでいい。


活動場所は、私がふだん書いているこのnote。

今までと変わらない書き物も継続する予定、エッセイ+αという感じでしばらくは動いてみようかな…と思っている。



まだ始めていないのでどれくらい続くかは見当もつかないけれど、とりあえずゴロン…と転がってみる。




追伸:

実はこのnoteは、まだ出すつもりじゃなかった。

もう少し企画を煮詰めてから…と思っていたのだけど、準備しているうちに熱が冷める方が困るし、「やりたいことは積極的に声に出すべき」という意見を聞いてその通りだと思ったので、思い切って(仮)の状態で出すことにした。


定期マガジンで何書くとか、サークル作って何するとか、まだ全然決まってないけど、ゆるく活動できたらいいなと思っています。


待っててね。


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