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母入院 3


整形外科病棟 6


12 余計なお世話 心のトレーニング

 母が入院した病棟は、整形外科病棟だったので時折笑い声も聞こえてくる。なぜか。自分の怪我の具合にもよるが、何日くらいしたらとか、この足がこうなったらとか、退院の目当てが割合はっきりしているからだ。
 脳血栓で入院したときは内科病棟だったので実に静かであった。いつになったら治るのか・・・・・・そんな空気が病室や廊下に充満していた。健康であることが申し訳なく感じる空気だった。
 笑い声の聞こえる整形外科病棟でも、住人がみんな軽傷ということはない。
 ある日、農家のおばさんが入院してきた。機械に手を挟まれ、右手首から切断された。術後安定したので大部屋にきたのだ。人はたくましい。自分の変化を、静かに受け止められるようになったら、人はたくましく生きられる。
 
 ある朝、病室の洗面所でタオルを絞ろうとしている場面に出合った。右手が使えないから、いろいろ工夫している。わたしは、
「絞りましょうか」
と声をかけた。すると、
「ありがど。(ありがとう)でもこれからはこの右手ど、この左手で生ぎでいがねばなんねさげ(生きていかねばならないから)、自分でする」
と言った。見ていると、濡れたタオルを左手で蛇口に巻き、それを左手でねじるのだった。なるほど。その時、絞りましょうかと声をかけた自分は自分自身をなんかものすごく傲慢な嫌な奴に感じた。親切な一声のつもりが、これからどう生きるか模索している住人に安易に結論を出してあげようとしたのだ。
 母が脳血栓で倒れたときドクターや看護婦さんに、
「自分でできることは手を出さないでくださいね」
と言われたことを思い出した。靴下を履く練習のときも、見ているともどかしく、母はできていたことができなくて泣くし、つい手を差し出したくなると、
「だめ。自分でやるの。やらせるの」
と看護婦さんにしかられる。日常の一つ一つの動作が、リハビリなんだよ、と言われた。
 冷たいのではなく、社会復帰のためのリハビリ。ドクターに無理と言われたことは手伝ってやって、少しずつ自分でできることを増やしてください。

 そう、そうなんだよな。かわいそうという感情はときに人の自尊心を傷つけるんだよ。
 母のリハビリでわたしは心のトレーニングをしているようなもんだな。

13 前向きの決意

 前の病室は男の人の部屋だった。リハビリに来ないと放送で呼ばれる。わざと呼ばれるまで行かない住人がいた。交通事故で膝を怪我して入院。傷が癒え、後は曲げるだけ。これが泣くほど痛いのだそうだ。タオルを必ず持っていく。汗とそして涙とうめき声を消すために。ゥオー、痛そう。
 みんなに励まされる。放送がうるさいから早く行けと。しぶしぶ行く毎日だったが、確実に効果が出てくる。若い人ほどはやい。リハビリに通えるようになるくらい回復すると退院だ。みんなそれを目指して入院生活を辛抱する。
 しかし、みんなが怪我をしたことが元に戻るわけではない。高齢であったり、手術できる状態でなかったりすると、それ以上悪くならないようにするだけで終わる場合もあった。鎖骨を折った高齢の住人は肝臓も悪く手術はできなった。そんなとき人はあきらめる。負のあきらめではない。その高齢の住人は、書をたしなむ上品な人だった。幸い手術できない鎖骨は左だった。
「わたしは、右手が使えればいいの。筆が持てるから」
と、笑顔でドクターに言っている様子が忘れられない。そうなってしまうなら、これからこう生きようと腹をくくるのだ。すごい。人ってすごい。


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