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大人?あるいは

「自分の感性が死んでいく」

就活の焦りから新卒で入りたくも無い会社に入社した。
けして得意ではない事務作業や仕事内容と、ただただ過ぎていく日々に、ふと心の中でそう呟いていた。

学生の頃大好きだった映画は観る気が起こらず、気軽に観られるドラマや漫画すら興味が薄れている。

YouTube。もうYouTubeしか見れない。
Twitterで大人がよく「若い頃好きだった映画や小説が読めなくなっている」というような呟きを、どんどん他人事と思えなくなってくる。
本当の私はどこへ行ってしまったんだろう。
自分の中の炎が、静かに消えていく感覚がした。

「大人になるっていう事は、自分の可能性に一つ一つ扉を閉めていく事だと思う」

いつか尊敬していた先輩がそんな事を言っていたのを思い出す。今ならこの言葉の意味が少しだけわかるような気がした。

身体の老化を止められないように、感性も衰えていくのか。
「大人になるってこういうことなんや…。私の感性は、こうやって死んでいくんや…」

静かな絶望を確かに感じながら、しかしこのまま合わない職場に居続ける訳にはいかないと転職を決意したのは昨年2月のこと。

「めぐたんなら多分いけるよ」

本名が“めぐみ”の私を学生の頃から“めぐたん”と呼ぶ友達(ここでは“ささ”と呼ぶ)が私にそう言ったのがきっかけだった。

「え!?ほんまに!?じゃあそこ(ささの務める会社)行こうかな」
彼女はきっと冗談のつもりで言ったのだろうが、崖っぷちで単純な私にそんな冗談は効かない。
ささがそう言ったその瞬間に、単純な私はその企業だけを目指して転職の準備を始めた。

めぐたんなら多分いけるよ、めぐたんなら多分いけるよ…頭の中でささの言葉がこだまする。
不思議となんかいける気がしてくる。
(昔からささには謎のパワーがあり、彼女がなんとなしに言う一言には言葉では言い表せぬ説得力のようなものがあった)

こういう時にだけ湧いてくる謎の自信に我ながら感心しつつ、受験対策の高校生に混ざりながらポートフォリオの為に画塾に通ったりしてなんとかささの職場に転職し、念願叶って絵を描く仕事に就くことが出来た。

転職してまず驚いたのは、この職場ではストレスが本当にない。

そして今まで観れない観れないとあれほど唸っていた映画も、あっさり観れるようになった。なんならアニメやドラマも観れるし最近は本を良く読む。

本を読んでいると、何気ない日常をこんなにも美しく、鮮明に言葉として表現することが出来るのかと驚くことが多い。
今までは映画が好きなこともあり、言葉は少ない方がいいと思っていたけれど(今でもそう思うが)こんなに言葉の世界があるなら、もっと見てみたいと思うようになった。

あの時の私は大人の階段を登りかけていたのでは無く、ただただ毎日がストレスで、ただただ喋る人が居なかっただけなんだと今になって気づく。

大人になっても感性は育つし、死にもするんだなあ。

このストレス社会、自分らしくいられる場所をひとりひとりが見つけられる社会になるといいですな。
あと選挙も行こうな。

それでは体調に気をつけて、短い秋を楽しみましょう。


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