最強棋士藤井王将 vs レジェンド羽生九段

 第72期ALSOK王将戦では最強棋士藤井王将(五冠)とタイトル獲得回数99期の羽生九段の対決が実現しました。藤井王将が強いことは誰の目にも明らかで誰が挑戦してもタイトル奪取は難しいとみられています。少し前に藤井王将を含めて4強時代といわれた頃、渡辺名人、永瀬王座、タイトルを失陥した豊島九段らは藤井王将からタイトルを奪うことができませんでした。そんな中、2021年度の順位戦でにA級からB級1組に陥落し、もしかしたらこのまま引退してしまうのではないかと将棋ファンが心配した羽生九段が王将戦挑戦者決定リーグを6戦全勝で勝ち抜き挑戦者決定となりました。

 今や将棋はAbemaTV、囲碁将棋チャンネル、そしてYouTubeなどあらゆるネット環境で見ることができるようになりました。そこでは評価値も表示され、藤井王将の将棋がいかに安定的で強いかということがわかりますし、一方で羽生九段の将棋は持ち時間の長い将棋であるほど体力的な問題からかミスが多くなり、全盛期であればありえないような敗北を喫することも多くなってきました。特に2021年度の順位戦A級からの降級決定に至る連敗の様子は将棋の内容もさることながら、なんとしても勝つ、という気概が感じられない、観戦する者としてつらくなる状況でした。もちろんそうなるのは羽生九段のことを尊敬しているからこそのことでした。

 だからこそ藤井王将への挑戦が実現したことを本当にうれしく思いました。周りの評価では4-0で藤井王将が防衛するのではという声も多かったですし、自分もその可能性はあるのだろうなということは感じていました。しかし一方で32歳差のタイトル戦を皆が待ち遠しく思いましたし、何より将棋界のプロ棋士の方々こそがこのタイトル戦を一番楽しみにし注目しているように見えました。藤井王将にはもう手をつけられない、でもレジェンド羽生九段であれば何かやってくれるのではないか、そういった祈りにも似た気持ちや雰囲気があったのです。

 さて結論からいうとこのタイトル戦は4-2で藤井王将が防衛を果たしました。結果だけみると羽生九段はそこそこ善戦、勝率8割越えの藤井王将によく2勝できた、といった評価になってしまうのですが第1局から中継を見た自分からすると、本当に羽生九段がタイトル奪取する可能性があったと感じさせるものでした。第4局までを終わった段階で2-2であり、いずれも先手番が勝利、かつ羽生九段が勝った将棋には圧勝といえる対局がありました。藤井王将がこれだけ何もできずに負けた将棋を見るのはここ数年では本当に珍しいことでした。第4局、藤井王将が2時間以上の長考ののち封じた手が結果的にいわゆる悪手となったわけですが、それだけ悩ませた羽生九段の研究の深さが光った一局でした。その後第五局、羽生九段が後手番で得意の横歩取りの展開に持ち込みました。この将棋も本当に珍しい展開になったのですが、何が珍しいかというと先行逃げ切り型の藤井王将の評価値が上がったり下がったり、通常では考えられないような不安定さを見せていました。それだけ羽生九段の指した手と誘導した局面が難解なものであったといえるでしょう。結局第5局は藤井王将の逆転勝利で3-2となり、第6局、後手番ながらするどい将棋を指した藤井王将がそのまま勝利し4-2で防衛、羽生九段は敗北となりました。

 歴史に「もしも」はないとはいえ、もしも第1局の先手番が羽生九段だったら、もしも第5局で羽生九段が先勝して3-2に持ち込んでいたら、またもっと言うならばもしも将棋界にこれほどAIの波が押し寄せ浸透する前の時代だったら、もしも羽生九段が7冠を達成した頃のもっとも充実した時期だったらと、いろいろなもしもを思わずにはいられません。今でも若々しい羽生九段とは言え、20歳の藤井王将と比べると体力も落ち、おそらく頭の回転も30代以降、下降をたどっているに違いありません。そのことはNHKの特番(プロフェッショナル 仕事の流儀)でも語られています。しかし一方で52歳でありながらこれだけ若い将棋を指し、最強棋士の藤井王将を追い詰めることができるという希望も見せてくれました。またこれも多くのプロ棋士によって語られていることですが、羽生九段の多彩な戦型選択であったり、マスコミ対応や前夜祭等での挨拶、様々な立ち居振る舞い、所作、雰囲気から藤井王将が学ぶことは多かったものと思います。将棋界の羽生九段のようなスーパースターがいる安心感というのはどのプロ棋士にとっても大切なものに違いありません。

 今季の王将戦を終えて思ったことは、どうか他のプロ棋士も藤井5冠の強さを認めるだけでなく、なんとか一矢報いてほしいということです。タイトル戦で負けてもいいですが、勝負する前から藤井5冠にはどうやっても勝てないというような雰囲気にならないでほしい、ということです。将棋は高度に戦略性がありますが、一方で精神面、肉体面の充実が大きく影響する知的ゲームです。藤井王将はその点も一流であることは否めませんが、同じ人間ですから完璧ではないのです。どうか将棋界を盛り上げるためにも、がんばってください。そして羽生九段にはまた次のタイトル戦で藤井五冠に挑戦してほしいです。

 最後に同世代棋士先崎学九段による寄稿を紹介します。有料なので全部を読んでいませんが、羽生九段、本当によくがんばった、かっこいいというようなことが書かれています。もう無理がきくからだではないよねというのもその通りだと思います。それでも羽生九段はレジェンドなのです。

 ちなみに羽生九段は今季B級1組からA級に昇級を決めた絶好調中村太一七段(昇級後、八段)とのB級1組順位戦最終戦で圧勝していました。とんでもない先生です。

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