読めるnote、読めないnote。
こんばんは、もげらです。
『note』って、無尽蔵かってくらいたくさんの、それもいろーんなジャンルのnoteがありますよね。
ある種の時間泥棒さんです。
でも、他のかたのnote、読むときと読まないときがあります。
読む時間があるない の話ではなく。
絶望を感じるときがあるからです。
まあ、ちょっと、『絶望』と表現すると大げさかもしれないんですけど。
「こんなの書けねぇ……」「なんで自分にはこんな文章が書けないんだ……」っていうようなダメージを受ける。
ダメージ受ける理由は簡単、"比べてしまう"からでしょう。
タイトル読んだだけでも、なんとなーく「これはダメージ受けそうだ」って判断してしまうことさえあります。
直感? ですかね?
だけど、「読んでみたい」っていう気持ちもある。「これは良いnoteな気がする」っていう違う直感、というか。
だけどダメージ受けるから読まない。
とりあえずそっと あとで読む に追加しているnoteは数知れず……
四の五の言わず読めや、って話なんですけど 笑。
そうもいかないnote心です。(なにそれ?)
一方で「うわ〜 この文章素敵〜」とか「おもしろい!」って素直にどんどん読むこともあるんです。
妬みや羨望ではなく、いっそ尊敬に似た思いさえ浮かびます。
これはこれで、ある意味衝撃(ダメージ)受けますよね。
「なにこの素敵な文章!」とか「なんでこんなおもろいの」って。
ただ私の情緒に問題があるとしか思えないですね、たぶんその通りです。
今、このnoteを書きながら、『素敵note』を思い浮かべて自爆しました。
素敵noteにならねぇ〜〜!
※『素敵』の定義は気にしたら負けです、主観とかそれぞれのイメージとかありますからね、
みなさんが思い浮かべる『素敵note』と是非比べてみてくださ——、やっぱりやめてくださいお願いします、
自爆しただけではなく、他にも浮かんできたこともあるので、いつか言語化できればいいなと思います。
情緒に問題があるnoteを読んでいただきありがとうございます。
2022.11.02 もげら
(昨日は 2022.10 まで打って気付きましたけども、今日はちゃんと 2022.11 と打てました)
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