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夢は罪悪感に苛まれる。

埼玉遠征が終わって、今日は一日、家にこもりっぱなしでした。
ほぼひきこもり生活に戻りました。
自分の日常生活。

4日間のことを反芻して、かみ締めたり。
荷物を片付けたり。
ニヤついたり。
ノート(note)に残しておかないと、書き留めたり。

夢みたいだった、
『夢』そのものだった。
福山さんのライブに参加すること、ファイナルを一緒に迎えられること、
インディアンスを見ること、ガクテンソクを見ること、
『夢』でした。

目標、という意味の夢。夢が叶った。夢が現実になったのです。
現実だけど、夢。 夢だけど現実。

そんな奇妙な感覚を覚えると当時に、ふと頭をよぎりました。
「今、この瞬間も夢みたいなもの」

現実を生きている、という実感がないのです。
(俺は、私は、生きているぞ! と思いながら生きている人は、多くはないと思いますが)

「今日一日、なにしてたっけ?」 「あれはいつのことだっけ?」 「こんな生活して、何をやってるのか?」 「これは現実だったっけ?」

眠っているときに見た夢を、起きたときには忘れているような。
そんな感覚がずっと続いているのです。

珍しいことではありません。

今日もそれがやってきただけ。
どうも脳内は、シンプルに『楽しかった!』『最高!』と思わせてくれない技術を持っているようです。そんな技術は要りません。

私が一日、家にこもって埼玉でのことを思い返している間にも、
仕事している人がいる、学校に行っている人がいる。
家事や育児、介護をしている人もいる。

きっと、福山さんを、インディアンスを、ガクテンソクを、
"糧"にしてがんばっているんだと思います。

私は、"糧"にするだけしておいて、結局、何もしていない
その罪悪感が、楽しかったという気持ちを押し流していく。

好きなことだけしてるみたいでごめんなさい。
何もできず、ごめんなさい。
私みたいなのが楽しんでごめんなさい。

一応、抵抗を試みたりします。

こんな生活をしていようが、楽しかったものは『楽しかった!』でいい。
最高なものは『最高!』でいい。
好きなものは『好き!』でいい。

それでも、脳内のネガティブ大王は手強いのです。

いや、でも、こんなことでぐるぐるしている間にも、世の中には……

もう、まったく。脳内バグでしょうか。
どうしてもネガティブに捉える天才か。なるほど。天才だったのか。
そんな才は要りません。


めちゃくちゃに楽しかったのに、罪悪感に苛まれるのはすごく悔しいので、noteを書いてみました。
書いていたら不思議なもので、「あーー、こんなことで落ち込むのアホらしいな!」と思えてきました。
書きながら、くだらないツッコミを入れていたのが、今回は効果があったのかもしれません。
ありがとうnote

やっぱり楽しかった。行けてよかった。
行かなかったら絶対に後悔してた。

楽しかった!!! 最高!!!!! ありがとう!!!!!


よし。
私は、社会的に何かできなくても。何もしていなくても。
福山さんを、インディアンスを、ガクテンソクを、
もちろんそれらだけじゃなくて、好きだと思うこと全部を糧にして、
不安だとか、罪悪感だとか、そんなものを吹き飛ばしたい
です。

いつか、いつかは、「糧に〇〇をがんばっています!」と堂々と言えるようなことがなにかできればいいけれど。

何もできなくても、何もしていなくても。
私には何も無くても、好きなものは好きで。
好きだと思えることを、幸せにしてくれることを、大事にしていこう。

「好き」「嬉しい」「楽しい」「最高」
そう思わせてくれる人やものたちに、感謝していよう。


他に書こうと思ってたことがあったんですが、「ダメだ」と思ってつらつらと書き起こしてみたら、少しすっきりしました。

まったく面倒な脳ですね。
これが脳のせいとか性格のせいとか、よくわかりませんけども。
少なくとも、"考えている"のは脳なので、脳が面倒なんでしょう。そういうことにしておきましょう。

読んでいただき、ありがとうございます!


2022.06.21 もげら

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