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いつだって未来の扉を開けるのは自分自身だ

歌うように生きていく。
私の人生で初めて作詞をして口ずさんだメロディから出来た曲。

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前に書いた歌詞を思い出すツイートを見つけて、久しぶりに自分で検索。そしてあぁこんな事を書いていたんだなぁと懐かしくなったし改めてお伝えしたいなと思ったので久しぶりにnoteにも。笑

歌うように軽やかに、鼻歌を口ずさむように生きていきたい。
そんな思いでつけたタイトル。決める過程にも色んな思い出がありますが長くなるのでそれは一旦置いておきますw

小さい頃から歌手になりたい、ミュージカル女優になりたいと言っていて、親には案の定すごく反対されてました。勝手に受けて届いたオーディション結果を見られて現実逃避するなと怒られた事もあった。
いつからかわからないけど、本当に歌は好きだったけれど、親に認めてもらいたい、私の夢はちゃんと叶うんだって証明やりたいという気持ちが勝ってしまっていたかもしれない。

大学時代、ブログに歌手になりたいと書き続けていたらインディーズ事務所からのコメントがあって歌を習ったりもして、就活が終わったらミュージカルのオーディションも受けて舞台に立ったりした。まだやりたかったの?と言われた。

社会人になってもなんだかもやもやして、仕事をしながら休日に歌の練習をして、何か目標をもってやらねばとCDを作ることに決めた。当時は通常の物流にのせて販売することしか頭になくて結構なお金を毎月貯めて支払った。(今は安く誰でもできるw)

無名だし誰が買ってくれるでもないとしても、私は私の中の約束をきちんと果たして物として手元に置きたかったんだと思う。
両親はそんなにまでしたかった事だったの、、と驚いていた。もう私の夢だから私のお金でなんとかするから口出ししないで、と泣きながら言った気がする。

絶対に母は反対している。
私なんかにそんな才能なんてないと思ってる。
叶うはずのない夢を娘は追いかけている。
母から私は認めてもらえない、と思い込み続けていた。


CDが出てからある日父から電話があって、
「iTunesでDLした曲、ママは毎日何回も何回も聞いてるんだよ、もう歌詞覚えちゃったなって言ってたんだよ。ママとお父さんの事歌ってくれてる曲聞いて泣いてたよ。ちゃんと思ってること、忘れないであげて」
と言われた。涙が止まらなかったな。
ごめんね、ありがとうって思った。

○わたし: 当時の私のこと、変わりたいって思っていた日々のこと。
○REBUILD: 母と父に向けて。私はこんな娘だけど、本当にここに生まれてよかったなって感謝してる。普段伝えられてなかったこと。
○Beautiful World : 傷つけることもあれば一言で幸せを作れたりもする。そんな言葉の力について、美しい言葉と美しい世界をかけて。

CDを出すという一つの自分の中のゴールを達成して、クラファンして予算を集めて個人ライブも恵比寿でやらせてもらって。
本当に最高だった。時間はかかったけれど、やっぱり歌っていて良かったと思うし、これからもちまちまと歌い続ける。

歌手になりたいといった以上、歌手という職業につけなかったらダメなんじゃないか、自分には何もないと知ってしまうんじゃないかという謎の不安と親から認められたい思いが重なって焦っていたけれど、長い年月の中でその形も変わって、誰かに想いを伝えていく1つのツールとして歌を歌っていきたい、歌手になれなかったからと言って夢破れた訳でもないと思えるようになって、これまで色々手放せてこれたのかもしれない。(その間にも色々ありますがw)

手放すまでに大分時間はかかったし、多くの人と関わりながら私はこうでなければいけない私を脱いでいけた。何より前の自分もダメな自分というわけじゃなくて、そんな自分を受け止めてもっと自分を大事にしてあげたいと思えるようになったのが大きいのかも。
両親への感謝を忘れて、勝手に自分で自分の評価を決めつけて苦しめて来たのは誰でもない自分自身であり、これからの人生をどう過ごしていくのかも自分次第。
きっと自分の事を知り切るのなんて死ぬまで無理だからw 
目の前の1つ1つの幸せを噛み締めながら自分を充しながら生きていきたいなと改めて思った日でした!

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