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京都観光から神聖な気持ちを得る

先日、京都へ行ってきました。午前中は東本願寺へ行き、初めて御影堂と阿弥陀堂の中に入りました。納骨の儀式に立ち会ったのですが、外の喧噪から離れ、とても荘厳な雰囲気で、仏教の知識があまりない私でも、とても感動的な経験をすることができました。お経も、線香も、仏具も、御真影も全てが神聖な気持ちを呼び起こしてくれました。

東本願寺

午後は嵐山へ行き、食べ歩いたり、トロッコ列車に乗ったりと観光を楽しみました。嵐山は平安時代からの貴族の別荘地として栄えた地で、言わずと知れた京都の名所です。自然豊かな大堰川の渓谷、嵐山の景観からも神聖な気持ちを感じさせてくれました。

トロッコ列車から見る大堰川渓谷

今日は偶像崇拝と自然崇拝について思考を巡らせたいと思います。

偶像崇拝の役割

偶像崇拝は、信仰を具体的な形で表現し、信者にとって視覚的にわかりやすいものとする役割を果たします。仏像や神像、聖なる絵画などは、信者がその存在を身近に感じ、祈りや瞑想を通じて精神的なつながりを深めるための媒介となります。これにより、抽象的な信仰が具体的で個人的な体験へと昇華されます。

自然崇拝の役割

一方、自然崇拝は、自然そのものに神聖さを見出し、その場に存在することで神々しさを感じる信仰形態です。山や川、木、岩といった自然の要素は、人工的なものがないため、純粋な形で神聖な存在を感じることができます。自然の中で感じる神々しさは、日常から離れた静寂や壮大な風景の中で、信仰心を深める手助けとなります。

両者の共通点と相互作用

偶像崇拝と自然崇拝は、それぞれ異なる方法で信仰心を喚起しますが、共通しているのは、どちらも人々に精神的な安心感とつながりを提供する点です。偶像は視覚的に信仰を補完し、具体的な形での祈りの対象を提供します。一方で、自然崇拝は、自然の中で感じる純粋な神聖さを通じて、心を癒し、内なる静けさを見出す助けとなります。

日本古来のアニミズム(自然崇拝)は、自然の中に神を見出す信仰形態として、多くの人々に定着しています。この信仰は、日本の豊かな自然環境と深く結びついており、自然との調和を重んじる日本人の精神性を反映しています。

偶像崇拝と自然崇拝のどちらも、信仰心をかき立てるための重要な手段であり、互いに補完し合う存在と捉えることができます。どちらも日本文化として定着していて、海外の人から見ても魅力的に感じる部分なのかもしれません。

最後の雑記として

嵐山はさすがの名所で、海外からの観光客で賑わっていました。お店の人も英語で受け答えしていて、さすがの観光地だなぁと感心しました。
帰り道にたまたますれ違った観光客に「竹林はどこですか?」と英語で訪ねられ、意気揚々と片言の英語で案内しました。
けれども、緊張のあまり、竹林とは正反対の方を案内してしまい、ひどく反省しています。無事に竹林観光ができていればいいけれど・・・。

最後まで読んでくれてありがとございました。

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