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#045:おじいさん言葉からメディアの力を実感した件

自分を「ワシャ」、語尾に「じゃ」を付けて話すおじいさんってリアルでいますか?

親のサポートをするようになると、ご近所の同世代の方や病院などで高齢者の方々とお話をする機会が増えます。
そこで、ふと思ったんです。
「ワシャのう・・・××(かくかくしかじか)××・・・しとるんじゃ。」
こんな話し方するおじいさんに実際に会ったことありますか?
私は今まで一度もありません。

なんとなーく、私たちって、おじいさんの言葉づかいを、
「ワシャ… ・・・じゃ」
というように思っちゃっているんですよね。だから、アニメなどに登場するおじいさんはたいてい、この言葉づかいをしていると思いませんか?

これって、ネコの
「~だニャー」
犬の、
「~だワン!」
に似た感覚なのでしょうか。

人は無意識に世代ごと?にクラスター分けをしていて、「このグループの人たちはこういう話し方をするものだ」と思い込んでいるんだろうなぁと。

他にも、例えば、
若者同士の会話で、男の子が
「待たせたね」とか「スキだよ」
と言うのを、
「待たせたゼ!」とか「好きだゼ」
と、語尾に「ゼ!」をつけているのって実際に聞いたことがありません。
ですが、男性の発言の語尾に「ゼ!」を付けた台詞に違和感がないというのも一種の男言葉に対する思い込みだと思うんです。

こうやって、無意識に思い込んでいるものっていろいろあると思うんです。

鳥なら、ピッピ
赤ちゃんなら、バブバブ
おばさんなら、あらまぁ
若者なら、それな
…などなど

これをふまえて、自分のコトを考えてみました。アラフィフの私は「おばさん」ど真ん中です。
そこで、ふだんの言葉づかいのなかで、
「よっこらしょ」
「あれまぁ」
「~なのよねぇ…」
を使っているかな?と振り返ってみると
・・・
はい、使ってました。キチンと(トホホ)

それでも、でもですよ。
おじいさんの「ワシャ・・・じゃ。」を、実際の会話の中で私は聞いたことがないんです。

どこからこの「思い込み」が始まったのでしょう…。
たぶん、、テレビアニメ番組の
『まんが日本昔ばなし』
だったのではないかと思うのです。

『まんが日本昔ばなし』は常田富士夫さんと市原悦子さんの見事な掛け合いが人気のアニメーションで、当時の子供たちは、この番組で世の中の理や道徳感が育まれたといっても過言ではない番組です。当時、小学生だった私たちにとっての定番番組で、最高視聴率も30パー越えという今では考えられない数字です。
ここに登場するおじいさんは確かに「ワシャ…じゃ」を使っていました。
この影響?で、わたしたちは、おじいさんの言葉づかいを決めつけていったのかもしれません。

ここで改めて、メディアの力を思い知らされました。
メディアがある事象に対して「こういうものです」と報道すれば、多くの人は「そういうものだ」と思い込んでしまうのですから。
1970年代後半~80年代は、現在のようにさまざまなメディアがあった時代ではありませんでした。音や動画の発信媒体は、テレビかラジオだけです。

現在、80代後半、リアルおじいさんの父が自分のことを「ワシャ…じゃ。」とは言っているのを聞いたことはありません。
ただ、父の生まれ育った実家がある地方で生まれずーっと暮らしている叔父は、自分のことを「ワシ」と言っていましたし語尾は「じゃ」でした。が、それは叔父が若い頃から言っていたので方言です。おじいさん言葉ではありません。

面白いものですね。
宇宙人がなぜか「ワレワレは…」と必ずいうのも、あるところから刷り込まれた思い込みでしょうし、宇宙人の目がなぜか大きいのも同様でしょう。

なんとくだらない疑問?からの話ですが、私は真剣に考えてしまったわけです。メディアの力って凄いなぁ…と。
インターネットの普及で、テレビやラジオというメディアから発せられる情報が「真実」「正解」であると思い込む環境ではなくなりつつありますが、それでも、決まったメディアばかりに晒されていると、いつのまにか作為的な物の考え方を無意識に植え付けられてしまう恐れがあるのだと、おじいさん言葉から感じました。

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