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キラっとの数珠繋がり


ここ数日本当に調子が良い。
仕事のエンドが見えると、なんか余計なことを考えずに目の前のことに集中して取り組めるようになった。
今までは、余計な感情や苦労感が一つ一つのタスクに対して生じてたけれど、終わりが見えたいま、ただ、どうしたらその状況をベストにできる?私が打てる手は?に集中できるようになった。そうすると自然と仕事も楽しく感じられるようになった。
仕事相手への愛おしさも感じられるようになった。

人生もそうだし、これって前住んでいた家での生活終盤に気づいたことだけれど、終わりがわかってるものはだからこそ輝いて見える、ていうのがある。
人生もいつか終わるのにいつの間にかそのエンドがずっと先のことのように思えて今の一瞬の尊さを全くもって忘れてしまう。
今起きてる事が無限回この先にまた起こるような錯覚を起こす。そうすると、一気に目の前で起きてる事が退屈で面倒で自分を困らせるだけのものになってしまう。
そこに終わりや、一回きりかも知れないっていう有限性が見出せるとキラっとした瞬間を掴み取る事が出来るようになる。
それって、もしかしたらそういう瞬間を手放したくない、再現性あるものにしたいっていう真逆の状態を望む私の欲望こそがその能力を発揮させてるのかも知れない。
それめちゃくちゃ矛盾してるじゃん、て思うけれど、私が幸せを感じられる状態、ということに限っていうと、それは紛れもなくその時々の有限性やその儚さを感じているとき。
自分の脳は結局どっち望んでるんだよっってツッコミをいれたくなるけど、でもそういうもんなんだよね。ずっと続いて欲しいようなキラっとした、儚い再現性のないその時々を積み重ねる人生がきっと幸せなんだと思う。
しかも、それって実は、私が来たれ、再現性!と願ったとしても多少の強弱はあれどこの世界再現性があることなんてほぼない。生命であれば昨日より今日は歳を取ってるし、微々たる違いでも必ずそこに違う自分やその人がいる。

おもろいな。
でもそういうことを毎日のうおーーーていう忙しい流れの中だとなぜか、なぜだか、昨日と今日も1ヶ月前も1ヶ月後も一緒くたにしてしまう脳ミソの補正機能がある。まあその方が楽だからかも知れないけど、一生をキラっキラっを数珠つながりにしていくには、私自身が意識してそういうキラっに気付ける状態を作り出していく必要がある。変化。
この人生の責任は良くも悪くも?ほんとーーうに私しかどうやら取れないようだから、せっかく自由にカスタマイズできる人生、面白いなっていう方を選んでいきたい。そんで、宇多田ヒカルが言ってたようにやっちまったなーて事があったとしても、振り返るとどうにかなってるから、きっと大丈夫。そっから学ぶことは何かしらあるわけだから。そういうことをバネに、しなやかさに変えて、生き抜いていきたいものです。

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