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手帖(こころがこぼれた日)


安西水丸さんの作品

内省も行き過ぎれば他人よりもシビアに

関わる人間関係関係なく、漠然とつらい 自分への不信感が根底にある 結局いつも周りの人間と比べて自分の位置を確認して、慢心してるだけなのではないか、とか自分に対して悪く思ってしまう←訂正するのも馬鹿らしい
ネットにいる自分はいつも偽りの自分なのではないかとも思う←訂正 離人感まではいかないが、やっぱり見えない空間に人が集まることは離人感があるといえる。


金沢のbar(KAMU)

体験からの自分への信頼

それでもあれ、うれしかったな〜じぶんのこころが動いたな〜と思う体験があって、、初対面で初めからたくさん喋る人を、信用できない、とわたしがバイト中溢した言葉に10代の若い男の子が共感して笑ってくれて、もう、めっちゃニンマリして、出会えてよかった!みたいにお互いなったこと(脚色しすぎかもしれない)
もうそのバイトに行くことは多分ないけど、あの信頼関係は確実に心で繋がってたなあと思う。だって、楽しかったもんな。ちょっと好きだったな、なかなか人を信用しないわたしの、気持ち悪くない方の、すきだけど。

おわりに


見えてるものが見えなくなる時、そこには他人の目が足りない。わたしが他人と自分を比べていると感じるように、顔を突き合わせて第三者との言葉やこころの会話をすることでうまれるものがある。そういう意味でも、ネット上の人間関係は触れ合えないからこそ離人感があるのかもしれない。だけど、等しく好きな人は好きだし、だいすきでありたい、と思っている。その種類が違うから、結局はわたしのエゴなのかも、と思うけど

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