転職エージェントとして見てきた、成長する人しない人

残念な話だが、人間は自分達が思うほど成長しない生き物だ。勿論、新たな知識や経験を手に入れることである一定については成長することができるだろう。が、どんな人間にも成長の限界がやってくる。

普段接する20代〜40代の方で行けば、当然ながら20代の方の方がスポンジのように色々吸収できる余白がある。が、比例するかのように年齢が上がるにつれて成長も加速度的にする40代の方もいる。逆もしかり。全く成長をしない20代の方もいる。

この違いは何なのか。

結論で申し上げよう。心に余裕があるかないかだ。

ある20代の男性と話した時である。彼は世の中的には上位と言われる大学を出て、業界内では名の知れた部品メーカーの営業として活躍していた。しかし、そんな書類上の経歴とは裏腹に、度重なる長時間労働、納品先と製造部門及び各所との板挟み、大したことない評価制度による不満足な報酬などから、明らかに彼の目には生気がなかった。彼は一言、もうこれ以上頑張りたくない、逃げられればどこでもい、という気持ちを吐露した。

かたや、こちらは40代女性。こちらは複数社でキャリアを築き、超激務の現職でも更に自身を成長させられないかと、子育てもある週末に資格の勉強に明け暮れていた。その様子の凄まじさは正に鬼、という表現が正しいかもしれない。

決して出来る人はできる、ということを言いたいのではない。人は持って生まれた心のコップに収まる水量がある程度、それぞれに決まっているものなのだ。大事なことは、ある一定の心の余裕を保つために、自身がどれだけの負荷に耐えられるのか、という点については出来るだけ早い段階で知っておくべき、ということだ。そういう意味では現在のインターンが隆盛を誇る日本の新卒採用は悪くないかもしれない。

では、心のコップの量を大きくするためには、その心のコップの量を大きくしてより成長するためには、どうすべきなのか。

これは残念な話かもしれないが、失敗する、もっといえばネガティブな事態に対して傷つくことなのである。これしかない。

感覚的な傾向で申し訳ないが、自立してキャリアを築いた方の多くが、この何らかの悔しさ、悲しさ、怒りに基づく体験談を持っていたりするのだ。いじめ、死別、借金。勿論、そこに苛まれてそのまま苦しさの中に精神的に果てていってしまう方もいるだろう。ここに対する救済措置などがあれば良いのだが、それはまた別の機会に。

結論、楽して成長はできないが、とはいえ傷つき過ぎても、というのが現代日本の問題なのかもしれない。

ダラダラと書き連ねてしまったが、本稿で言いたいことは成長には痛みが伴う。その痛みの感じ方が人それぞれ違う以上、成長をしたければ自身の中で対応できる範囲内での痛みを都度、経験してみるといい、ということだ。また、付け加えると成長をすることが良いこと、ということでもない事象が昨今、起きつつある。

なので、成長するかどうかはあなたが決めればいい。必要ならして、必要ないなら遠ざける。その取捨選択がだきることが、現代において最も大事な、成長の結果なのかもしれない。

10月23日、前倒しの給料日に興奮しながら記す。

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