太宰治 人間失格 感想①

 太宰治の数ある文学作品の中でもこれぞのものといえば、「人間失格」といっても過言ではないかもしれない。私はあまり本を読まない学生だったから、太宰治といえば高校生の時の教科書にある「走れメロス」しか知らなかった。あまり内容を覚えていないが、メロスが友のために命をかけて約束を守ると言ったような内容であった気がする。人間の友愛の美しさ、真の友情。そんなものを書いた作品だと記憶している。私はこの作品(といっても教科書になっていた部分だけだけれど)が非常に好きであった。
 しかし、今になってみると太宰の走れメロスが学校の検定教科書にあったという事実が非常に滑稽に感じられる。なぜなら、太宰の作品にはいわゆる教科書的な内容のものはほとんどないと感じるからだ。どちらかといえば負のオーラの作品が多い太宰を読むほど、よくこの作家から教科書の掲載に耐えうる部分を探してきて載せたなと感心さえする。そんな非教科書的な太宰治の作品の第一番がこの「人間失格」であると思う。

「人間失格」は冒頭の「恥の多い生涯を送ってきました」が有名である(これだけ知っている人も多いだろうと思う、自分もそうでした)。けれども、その前にはしがきの文章がある。ここでは作者が自身の3枚の写真について1枚ずつ印象なのかよくわからない事を述べているが、これが丁度いい塩梅に太宰の人生の軌跡を洞察させるような独特な形式の告白なのである。「人間失格」自体が告白小説であると評されるし私もそう思うが、それははしがきから始まっていた。どれも自虐的に語られていおり、悲惨な感じをうける。しかし、太宰治は虚構の達人である。嘘が上手なのだ(これは作家としてだけでなく幼い頃からそうであったことが作品のすぐあとで語られている。また人に本当のことをいっても信じてもらえないことも吐露している)。それによってか現在小説を通じてのみ太宰という人間に会うことのできる私もまた懐疑心が湧くのもこの作家の面白さな気がしてくるのである。


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