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自分の顔を変えること

『まきむぅさんの生き方はかっこいいけど、わたしはまきむぅさんじゃない。新木優子ちゃんは可愛いけど,わたしは新木優子ちゃんじゃない。』自分によく言い聞かせる言葉たち。

『人生は20代で決まる』メグ・ジュイ著 を読んで思ったことは第一に、「とにかく、大学を出たら定職につこう。」ということ。

 自分に本当の幸せをもたらす何か、理想の仕事や恋人を探し続けることを、「青い鳥症候群」というのだっけ。ロマンチックに生きようとはいつも思っているが、それだけではダメみたいだ。

 「前向きで知識もある20代の人々がを、現実社会で現実の仕事に就くのを避けて、楽な非正規雇用を続けていると、そのうち本当の幸せを探す意欲も失せ、面倒になっていく」

正規の仕事に就くのを先延ばしにしてぶらぶらしていると、人は前進するチャンスを逃すんだって。

 気楽なフリーター生活を過ごすことも、一人で、あるいは実家に依存して、若い日々をやり過ごせばいいのであれば、選択肢に入るだろう。だが、アルバイトで得られる経験は、身になることが少ない。先のことを考えると、自分の目指す将来像に近づくには、定職に就くのが近道みたいだ。

 同書の中で印象に残った言葉は、「アイデンティティ・キャピタル」。それは、時間をかけて身につけた、自分の価値を高める経験やスキル。自分に長い間十分な投資をした結果、自己の一部となったもの。学位や仕事、テストの成績、クラブ活動のような履歴書に乗せれるものもあれば、 話し方、住んでいる地域、問題の処理能力、外見や印象など、その他で自分が所有するのものもある。

そこで話は変わるが、私は物心ついた時から、自分の目はキツネのように細いと感じていた。性格も高校の時までは完璧に内気で消極的だった。

 大学生になってメイクをするようになった。アイプチを愛用。偽の二重だとばれているとは思うが、とにかく、目を大きくすることができる。メイクやそのほかの新しいことに挑戦して、自信がついたからか、わたしは、みるみる社交的になっていった。

ただ、二重を作るのはとても面倒だ。メイクをフルで気合入れてしたら1時間は要する。これを一生続けるのかと思うと気が滅入ってくる。

大学四年生になった。

 最近、二重整形の手術について調べるようになった。実際に美容外科のカウンセリングにも行ってきた。切開法という、瞼にメスを入れる治療法を進められた。手術中、術後は痛むだろうし、1か月の間は目が大きく腫れるだろう。

 でも、毎日アイプチをしなくていいならどんなに良いだろうかと、心がワクワクして思わずスキップしてしまった。未来の同棲相手に、ほっそくて自信なさげな目をしていることを隠さなくてもよい。

 そんな私を惑わすのが、同居している母が言う、「生まれたままの、純粋な表情のあなたの顔に会えなくなるのは嫌だな」という言葉。そう言われると考えてしまう。失敗したら後戻りはできない不安も出てくる。

 それでも、手術に成功して二重でいることは、私に大きな影響を与えると思うのだ。このままだと永遠にこのまま。好きな人に二重がウソであることを隠すことはストレスがかかるし、朝起きた時、ぬぼーっとした自分の顔を見ると気持ちが落ち込みやすい。

 二重になることは、一種のアイデンティティ・キャピタルを手に入れることだと思う。仕事や人間関係のほか、望むものを手に入れるための通貨のようなものを手に入れる。

大学生になって、仮の二重で過ごせるようになって私は変わった。もっと勇気を出すことで、半分本物の二重を手に入れることができるのだ。

何をすべきかを突き止めるただ一つの方法は、とにかく何か行動すること。

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