Twitter訣別宣言

これを読んでる諸君はどうせ僕のTwitterのフォロワーだろうから、わざわざ言わなくても分かるだろうが、僕は筋金入りのツイ廃である。
小学五年生の頃に親に黙って買ったNew3DSのブラウザで初めてTwitterアカウントを作成し、中受のストレスが溜まっていた小6の頃からツイートし始め、中1の終わり頃にはフォロワー1000人を超え、高校に入る頃にはフォロワー3500人を超える有名アカウントとして君臨していた。
人生で最も多感な時期をTwitterで過ごし続けた僕は、脳内言語すらもTwitterに最適化されていて、それに思考を犯されている。きっと僕は最もZ世代らしいZ世代なのだ。
僕の日常はTwitterにあった。非日常ですらTwitterと共にあった。Twitterの無い人生なんて考えられない。

しかし、歪な日本社会はそんな生き方を許容しなかったのだ

僕は大学受験期に突入した。しかし、かけがえのない青春期を共に過ごしたTwitterと共に乗り越えようと考えていたし、それこそが僕の生き方だと思っていた。いつまで経っても変わらないTwitterライフ。僕は変わってもTwitterは変わらない。そういうTwitterを期待していたんだ。
いつしか周囲の同年代はTwitterをやめて受験勉強に専念していった。あの時深夜アニメをリアタイで視聴して批評しあっていた彼や、政治や軍事の話題で盛り上がり続けた彼も、東京大学を目指している連中は、その別れを惜しみながらも綺麗さっぱりTwitterを絶って受験勉強と真っ向に向き合っている。僕は悲しかった。彼らと共にTwitterで励まし合いながら東京大学に合格したかったよ。

そして僕は東京大学に落ちた

今は浪人である。それも北九州予備校という監獄予備校のね。北予備に入ったら流石にTwitterは辞められるだろうと思っていたが、別にそんなこともなかった。

今Twitterを訣別出来なければ、僕は永遠にTwitterにしがみつくことになってしまうと確信する。霞ヶ関京というアカウントは大きい。霞ヶ関京という僕のもう1つの人格が、自らの死を恐れている。今まで何遍も安楽死しようと心がけてきたが、生命力が強く、蘇生を繰り返してしまっている。自決せよ霞ヶ関京。さもなければ理想が死に絶える。命を惜しむな名を惜しめ。アニメ平家物語の話題で盛り上がったあかふく君は元気かな。はぁ。

徐々にTwitterを断つんだ。

僕は来年東大文Iに受かってるんだ。

大好きな人たちと共に東大の同級生になるんだ。

そこにTwitterは必ずしも必要じゃないんだから。

僕はTwitterと訣別したいのだ。

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