夏目漱石『吾輩は猫である』

《さあさあお立会い!
御用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで。
聞かざる時には、物の出方、善悪、黒白がトント分からない。》(筑波山ガマの油売り口上。https://gamaoil.jimdofree.comより。)
名もなき猫から文豪をつくるにはどういう風にするか?
涙が出ても心配はいらない。此の『猫』をば、しばし読みますれば、あな不思議、涙はピタリと止まり、ゲラゲラと笑いの生ずる魔法の薬でござりまする。/

処女作にして、巻を措く能わざるこの面白さは凄い!
落語からきたともいわれる文体の名調子は、思わず声に出して読んでみたくなる。
既に「則天去私」の境地を見出しているかのような、アイロニカルな人間観察。
おもしろうてやがて悲しき、その味わい。
『猫』は、『坊ちゃん』と並んで、漱石の中でも大好きな作品である。
特に、猫君がネズミを捕るのに失敗する場面は、「無能の人」としては大いに親近感が湧いた。
読み終えると、なんだか「動物化」という言葉が無性に気になってきた。/


《古典落語のパロディが幾つか見られる。例をあげると、窃盗犯に入れられた次の朝、苦沙弥夫婦が警官に盗まれた物を聞かれる件(第五話)は『花色木綿(出来心)』の、寒月がバイオリンを買いに行く道筋を言いたてるのは『黄金餅』の、パロディである。》(Wikipedia「吾輩は猫である」より。)


【 主人は筆硯を座敷の真中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難告訴をかくから、盗られたものを一々云え。さあ云え」とあたかも喧嘩でもするような口調で云う。
「あら厭だ、さあ云えだなんて、そんな権柄ずくで誰が云うもんですか」と細帯を巻き付けたままどっかと腰を据える。「その風はなんだ、宿場女郎の出来損い見たようだ。なぜ帯をしめて出て来ん」「これで悪るければ買って下さい。宿場女郎でも何でも盗られりゃ仕方がないじゃありませんか」「帯までとって行ったのか、苛い奴だ。それじゃ帯から書き付けてやろう。帯はどんな帯だ」「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、黒繻子と縮緬の腹合せの帯です」「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋――価はいくらくらいだ」「六円くらいでしょう」「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭くらいのにしておけ」】/


【「この本は古い本だが、この時代から女のわるい事は歴然と分ってる」と云うと、寒月君が「少し驚きましたな。元来いつ頃の本ですか」と聞く。「タマス・ナッシと云って十六世紀の著書だ」」

ー中略ー

「ソクラチスは婦女子を御するは人間の最大難事と云えり。デモスセニス曰く人もしその敵を苦しめんとせば、わが女を敵に与うるより策の得たるはあらず。家庭の風波に日となく夜となく彼を困憊起つあたわざるに至らしむるを得ればなりと。セネカは婦女と無学をもって世界における二大厄とし、マーカス・オーレリアスは女子は制御し難き点において船舶に似たりと云い、(以下略)。」

ー中略ー

「彼また曰く女子とは何ぞ。友愛の敵にあらずや。避くべからざる苦しみにあらずや、必然の害にあらずや、自然の誘惑にあらずや、蜜に似たる毒にあらずや。」】/

このあたり、なんだか「饅頭怖い」を思わせる。
終盤の苦沙弥家のサロンは、寒月、迷亭、東風、独仙、多々良三平らが次々と訪れて賑やかだ。
僕も、若い頃、こんな雰囲気に憧れて、仲間たちとF先生のお宅に押しかけては、何度もご馳走になったものだ。/


「虫けら」と生れて人の世に住む事もはや六十九年。
いまは、文豪漱石を生んだ名もなき「猫」のことを寿ぎたい。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?