自分にとっての日曜日

毎日日記を書くのは少し億劫。noteは無くても一応生きていけるが、日々知らず知らずのうちに溜まっているモヤモヤは定期的に吐き出したい。
そこで、毎週日曜日に投稿することを習慣づけてみることにする。違うなと思ったらやめるが、とりあえずここで宣言しておきます。

突然だが、ぼくにとって日曜日は教会に行く日。親がカトリック信者で、幼い頃からそう習慣づけられてきた。
最近はほとんど行ってないが、20歳までは親から半強制的に毎週行かされていた。病気や部活の合宿など特別な理由がない限り、どんな時も。
実はキリスト教では太陰暦を用いており、土曜の日没から日曜にカウントされるので、土曜の夜に行っても大丈夫。ちなみにセンター試験の1日目が終わった直後も教会へ行った。明日も本番なのにどこに時間を使ってるんだろうと思いながらも。

カトリック信者にとって日曜日は特別な日。安息する日という認識がある。日々仕事に追われて生きている人も、家に引きこもっているニートもみんな教会へ集まる。と言っても大半は爺婆だが。

そういうわけで日曜日は、自分の中でどこか特別な位置づけとなっている。


キリスト教というバックボーンがある自分には人と違う視点がある、のかは正直わからない。
比べたことがないので。しかもそんな頻繁に神様のことを思い出している敬虔なクリスチャンではない。
普段はカトリック信者であることが表に現れることはないが、心の奥底には神の存在があったりする。運がいいと思ったり、どうしょうもないほど落ち込んだ時は思い出している。
困った時の助け舟だ。最後は神がなんとかしてくれる。

ふと日本人の幸福度が低い理由はここにあるんじゃないかとも思ったりする。
別に宗教じゃなくてもいいが、人ではない利害関係もない何かに拠り所があると、気が楽になることが多いのではないかと思う。

あんまり上手くまとまりませんでしたが、今日はこの辺にしときます。ではまた。

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