自分は聞き上手だと思っていたが、それは思い違いだった。猛省文。

とても恥ずかしい思い違いをしていた。

「聞き上手」って相手が話しているのを邪魔せず、気持ちよく話してもらうように相づちをうち、もっと話したくなるような質問をすればいいと思っていた。

上記の会話も間違ってはいないかもしれない。
相手によっては正解な場合もあるのかな。
太鼓持ちに近い気がする。

私がそのような状況にいる時、相手はどちらかというと「自分のことを話したい人」たちだった。
私の聞き方が良いから話しているのではなくて、その人が話したいことを話しているだけだったのだろう。
だから極端に言えば、私がうんうんとうなづいているだけでもその人は話せるのだと思う。

私自身、その話を楽しんで聞いていたかというとそうとも言えず。
その人への興味も薄かったかもしれない。とても失礼な話だ。

だから、相手が「自分から話したい人じゃない」場合、私は空回ってしまう。
本当は、そういう人の色々を聞きたいのに、聞き方がわからない。沈黙がこわくて言わなくていいことを言ってしまったりする。
家に帰ってから本当に聞きたかったことが思い浮かぶ。
興味はあるのにその時は言葉が出てこない。
自分自身のこともうまく話せず、とても疲れてしまう。

自分は、人と会話をしていない気がしてきた。
相手にとって良い話し相手になることに意識がいってしまい、会話を楽しもうとしていない。
自分のことを話さず相手に話させようとばかりしてしまう。

会話はキャッチボールとよく聞くけれど、私の場合、私はボールそのものなのかなと思った。投げるも投げないも相手次第。ボール自体は動かない。

そもそもどうしてこんな反省したかというと、
夫が撮った動画の、友達と立ち話中の私の聞く態度があまりにもひどかったから。

私の知らない私を発見してしまったから自信がなくなってしまったのです。

人の話を聞く時はゆらゆらしないで話している人を見ること!

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