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【#8】スナック恋愛信者を交わした後は、おひとり様の気楽な居酒屋時間。

 萌花のラインの通知件数は、スナックのアルバイトをしてから軒並み増えた。以前は元カレの堤のラインを待っていることが日常だったが、今はラインが届かない日はない。萌花は、気が付き始めていた。
”私は夜の世界では異色な存在で、モテる方だ”
ヨシ!と、小さくガッツポーズする、心の中の小人・萌花。
 スナックでは、男性客の、キャストへの好みが露骨に出やすい。もちろん、20代しか受け付けないという男性客もいるが、30代後半から80代まで、萌花は人気があった。可愛いだけではなく、常識的な会話が通じる。まだまだ若いが、熟しきらないアラサーは魅力的な年代なのだ。萌花は、大学卒、OLであり、常識に則った会話ができた。いわゆる普通といっていい道筋が、お嫁さん候補にリアルに映る。アラサーという年齢が、女性として程よく魅力的、萌花は独身男性の独占欲を搔き立てた。萌花は、そういった男性の胸の内に鈍感な方だったが、好きでもない男性のアプローチは、薄暗いスナックの照明でも、冷静にはっきりと、感じ見えた。
 萌花こと凛華(源氏名)にも、出勤日毎に顔を出すお客様ができた。その男性客は、ひろしさんと言った。彼の恋愛観は、どことなく違和感を覚えた。”男女の出会いは、スナックにある”というのだ。強ち、間違いではないが、どちらかというと”スナック恋愛信者”と言おうか。

魅惑のネオン街

 遡ること、ひろしが20代の頃。先輩が初めてスナックに連れて行ってくれた、これがひろしのスナック通いの幕開けだ。その先輩は、後輩思いのいい感じの遊び人だった。「自分も先輩に連れてきてもらった。その先輩は、スナックのママと結婚した」というのだ。ひろしにとって、ネオン街に、薄暗い店内に漂う煙草の匂い、きつい香水と酒の匂いをプンプンさせながら近づく女性。カラオケマイクを握ると、拍手やタンバリンが鳴り響き、注目を浴びている快感があった。ひろしにとって、魅惑の場所となったスナック。ひろしはその先輩と共に、スナックで遊ぶことを覚えた。
 先輩がよく通っていたスナック。通う理由は、先輩の交際相手がいるからだと聞かされた。スナックで働く源氏名:雅。スナック恋愛信者となったひろしは、先輩が雅を指さし、店内で教えてくれた。
 「帰りは送っていってやってるんだ」
ひろしは先輩の指さす方へ眼をやった。その先には、先輩とは釣り合わない程、若く、細く、色気のある、ドぎついピンクの艶っぽい口紅が似合う派手な女性。ひろしは、こんな女性と付き合えるなんてと先輩を見なおした。

先輩の彼女はセクシーすぎる

 ひろしは、この頃からスナックに通って恋愛を探すようになった。先輩に紹介してもらったスナックに一人で通うとなればなんとなくバツが悪いと考えたひろしは、ある夜、新たにスナックを開拓しようと一人でネオン街を目指した。先輩の店から通りを外し、高級クラブが立ち並ぶ店からは遠ざかる場所にスナックを探した。カランとドアが開いた途端、賑やかなカラオケの音量が駄々洩れ、酔ったふくよかな男性が女性に肩を回しながら、少し女性に支えられながら出てきた。「ありがとうー!大丈夫?タクシー乗って!!また来週ね!!」と見送られている。カールしたロングヘアがふんわりと揺れ、白いタイトなノースリーブワンピースに、白いハイヒールを履いた女性と出くわした。目があった瞬間、女性はにっこりと笑って「お客様、お席ありますよ!どうぞ!」と、胸元で右手をクイクイっと動かされ、招かれた。 

 ひろしが出あった、この白いワンピースの女性との付き合いは長くなる。

 彼女はこの店のママで、ひろしは店に最後まで残り、夜中、家まで送っていく役割を担った。店では料金を安くしてもらう特別待遇。そして、ママとの車の中では楽しい会話。ママが泥酔の時、部屋まで支え運んだことがきっかけで、時々、ママのお部屋に上がらせてもらって、一緒に飲むこともあった。ひろしはいわゆる、特別な存在になれた。だが、最後まで体の関係はなかった。

 この思い出話を、凛華に何度も聞かせた。酒に酔うとこの話になるのだ。「付き合ってたんだけど、それを口に遭えてしなかったんだよね、お互い」
凛華はわかっていた。またここで恋愛を探している、私と付き合いたいと言わんばかり。でも、彼は告白する勇気がもてないだろう。
 凛華は、この思い出話が出ると、「でも口にしない関係も素敵です。心が通じ合っていて。恋愛ってドキドキしたり、少し恥ずかしかったりしますよね。恋愛ってその時間がまた楽しかったりして。」とケラケラと笑って見せ、すぐさま、「ひろしさん、今日は歌うたってくれないんですか?ほら、私あの歌好きなんです。サザンオールスターズの希望の轍!」と、マイクをコッチくださーい!!!と元気にアピール。ひろしから目をそらす。
 ひろしは、スナックという場での男女の出会いにチャレンジし続けていた。現在46歳。
 凛華がママに耳打ちする。「ママ、時間なんで、上がらせていただきます」ママはにっこりと笑顔で、あとは任せてと凛華の手を握る。凛華も少し苦笑いで手をギュッと握り返した。聖子ママと凛華の合図だ。凛華はひろしのところへ戻り、「明日、会社のシフトが早いので、今日はこれであがります。ひろしさん、楽しかったです!あ、でもまだ楽しんでいってくださいね!」と話しているところに聖子ママが乾杯にやってきた。凛華はスルリとママと入れ替わり、他のお客様へもご挨拶に回っていく。ママの黒話術が、ひろしの凛華を追おうとする瞳をジャックした。

 萌花は、更衣室でジーンズに着替えた。同伴やアフターがない日は、ジーンズで通うことにしてる。夜の街で声を掛けられにくくするためだ。そして足早に、この眠らない街から離れる。とはいうものの、今日は少し、夜遊びしたい気分だった。明日の仕事が早いというのは嘘。電車に乗り、家の近くまで帰ってきた。最近、おひとり様の居酒屋デビューを果たした。
「いらっしゃい!カウンターどうぞ!」
「ありがとうございます」
威勢のいい声が、萌花を迎えてくれる。ギリギリ口説かれそうな時間を耐え抜いた疲れを一気に吹き飛ばしてくれる気持ちになった。
「何にしようか!?」
「レモン酎ハイでお願いします!」
「はいよー!レモン酎ハイ一丁!」
「あと、おつまみ とろ~りレバーください!」
「お!これ美味しいよ~!とろ~りレバー入りいまーす!」
店内に大きな声で飛び交うやり取り。元気もらうな~と、大ジョッキを両手で持ち上げ、レモン酎ハイをグイっと飲んだ。

おひとり様の気楽な居酒屋時間

萌花は、冷たいジョッキを両手で握り、”本音”を整理した。
 きっと・・・ひろしさんも、先輩も、”付き合ってる”って信じてるだけだろうな。好きとか、簡単にいう女の子いるし。勘違いしているお客さん結構いる。スナックに恋愛なんて落ちてる訳ないじゃん。でも恋愛してるって思っている内は幸せなのかな。幸せか・・・
萌花は、目の前のとろ~りレバーを一口頬張り、口の中で濃厚に広がる旨味、そしてごま油と塩味のハーモニーに舌鼓を打った。
 幸せって、コレだな!
スナック恋愛信者に口説かれた疲れは、どこへやら。

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