見出し画像

「人生においてどんな人物や映画に影響を受けましたか?」

「人生においてどんな人物や映画に影響を受けましたか?」という質問がきた。多分質問した人はここをみないけど、勝手に答えちゃお。わたしはたぶんすきとか良いと思うもの全てに影響受けてるんだろうな。見たものや聞いたもの覚えてないものがおおいけど、そのカケラが集まってわたしになる。
わたしはゼロから作りだせないことを悩んでた。もう既存のものばっかりで、新しいものなんてほとんどだせなくなっていて。そんな中でオリジナリティってむずかしいよなあとずうっとかんがえてた。みんなと同じは嫌だとか、みんなと同じことを思ってたのね。真似なんて無駄にプライドが高いわたしにはできなかった。
そんなときに、ひとつのものから影響を受けて真似をしたらそれはオリジナルではないけれど、色んなものに影響を受けて色んなものの良いところを盗んだらそれはもうオリジナルだよ、というような文章を読んだ。かなりうろ覚えだけど、たぶんそういう文章だったと思う。これを読んでわたしはすごく楽しくなった。色んなものを見て聞いて、カケラを集めていたらいつのまにかわたしというオリジナルになってるんだ。見るもの聞くもの全てからカケラを集めたい。
そう思ってからは、例えば道ゆく人の靴やかばんやアクセサリー、ダサいファッションだと思っても自分の好きを探してしまう。それが楽しいの。だからかな。わたしがリサイクルショップや古着屋が好きなのは。ブランドのお店にいくと同じような服ばっかりで、ブランド物も好きだと思うものはたくさんあるし質も高いのがおおいんだけど、楽しさに欠けてしまう。あんまり変なデザインのものとかないしね。百貨店とかで買い物してておもったよ。やっぱり古着屋でみる「なんだこの変でかわいいデザイン…なにと合わせて着るんだよ…」ってなるのが好きなんだ。
あと、映画では全体のストーリーが好みじゃなくても、あるワンフレーズだけは好きとか。そうやって、全体像だけじゃなくてひとつひとつ小さいものに焦点を当ててみると意外と好きなものがでてくる。この人は好きじゃないけど、この人のこういう部分は好きとか。

もういまはみんなと同じじゃいやだとは思ってない。アイデンティティが確立してきたのかな。ここのショップのものはみんな持ってるからここでは買いたくないだとかここのブランドは有名すぎるからいやだとか流行には乗りたくないだとか、そんな周りに左右されまくった好みはわたしのじゃない。超有名だろうとマイナーだろうと、流行りだろうと流行遅れだろうと、わたしは全く気にしなくなった。だって、みんなが持ってる靴をわたしが履いてても、どうせわたしが履くとわたしの色に、きみが履くときみの色に、染まるんだもん。おんなじものでも、身につける人によって全然変わるんだよ。

高校までは“個性的”が悪口だとおもってた。「あなたは似合うけど、わたしにはむり」って遠回しな悪口じゃんと思ってた。悲しくもなければ、嬉しくもなかった。いちどだけ、モデルのオーディションを受けたときには最終面接で聞かれた「あなたの個性はなんですか?」という質問に全く答えられなくて落ちた。その時は、3日落ち込んで、なんてわたしは無個性なんだろうと絶望してた。その日からずっとわたしは自分のことを無個性だと思ってる。無個性は言いすぎだけど、ほんとうに全てにおいて並くらいなんだよね。秀でたなにかは持ってない。だけど、自分の好きなものも嫌いなものも自分で決められる。自分の好きな人やものには胸を張って好きだと言えるのよ。
もしきみがいま自分の好きなものがわからなければ、色んなものに手を出せばいいし、好きな人の好きなものでもいい。ジャンルを絞る必要はない。だんだんと絞られて、きみの色が見えてくるから。

服関係のことばっかり言っちゃったけど、性格面でいえば、付き合った人にはモロに影響を受けたし出会った人たち全員になんらかの影響は受けてるんだけど。ひとりすごく影響受けたなと思う人がいて、その人はすごく変わってて、当時20歳くらいだったわたしは初めて理解を超える知らない考え方を教えてもらった。わたしは自分が今まで思いつかなかったような出会わなかったような考え方がおもしろくてしょうがない。日が昇るまでずっとしゃべり続けていた日もあったくらいに。東京で出会う人たちは、良くも悪くもいろいろで、本当にいろいろ。それがおもしろい。自分には合わない人も、悪い意味で理解を超えてくる人も、たくさんいるんだけど、それぞれにそれぞれの考えや思惑があっておもしろいよね。

今まで見たもの、出会った人、聞いたもの、どれか一つでも欠けていたら今のわたしはなかったのかもしれないから、全部大事で全部必要だったんだよね。悪いことも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?