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withコロナ時代にわたしがおもうこと

ある尊敬する方が、たまたまこのテーマについて考えるきっかけをくださったので、おもうことを書いてみます。

4月。わたしのパン修行がスタートしたと同時に、コロナがものすごい勢いで流行りだした。ニュースでは、毎日感染者数と死亡数が流れていた。

働いているお店では、今後の方針を何度も話し合った。わたしも、なんにも分からないなりに、自分にできることはないか考え続けた。

それからはやくも5か月が経とうとしている。そんなバタバタだった5か月を振り返っておもうのは、「楽しかった」ということ。こんなことを言うと、「みんなが不安がっているこんな大変な中で、何を言っているんだ」と怒られるかもしれないけれど、とても本心なので、許してください。。

なぜ楽しかったのかを考えてみると、大好きなひとたちと一緒に、目の前の問題に全力で向き合いつづけてきたからではないかと思った。

だれも予想できなかった事態のなか、世の中にはいろんな正解・不正解が広がっていて。それは、当たり前に、人それぞれ価値観が違っているからで。だれもが予想しなかったからこそ、ひとそれぞれの「違い」が浮き彫りになった気がする。

たくさんの正解・不正解が広がっているそんな世の中で、自分はどうするのか。自分たちはどうするのか。自分たちの納得する「正解」を考えつづけた。そのために、できることはやってきた。

どんどん、お店のことが、お店のひとたちのことが、大好きになった。そんな大好きなひとたちとこれからも考え続けて、行動してゆく。それがたのしみでたまらない。

コロナが教えてくれたことは、考え続けることの大切さ。価値観が多様化してきて、たくさんの正解・不正解がそこらじゅうにころがっている。そんな世の中で、自分なりの正解を考え続ける。

自分がやってきたことが絶対に正しいかなんてわからないし、これからやろうとしていることも正しいかわからない。きっとわたしは自分なりの「正解」探しをし続けていくんだと思う。高校生のときまで、ひとりぼっちで探していた気持ちだったのだけれど、いつの間にか、まわりにはたくさん仲間がいたようで。すごく、楽しみで仕方ない。

なにが言いたいか、よくわからなくなってきたのですが、そんな感じ!

いろんなひとに支えられて生きてきた5か月だったなあと、この文章を書いていて思いました。というか、思い出しました。

気を抜くと「ひとりで生きている」という傲慢な気持ちになっていくのですが、ほんとに、いろんなひとに支えられて生きている。ありがたいなあ。

考えるきっかけをくださってスペシャルサンクス!暇なときに読んでくれてますように。

じゃ、またね。

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