こやまもえ

理想のカフェをひらくための日々をメモ感覚で書きつづり、実現に向けてモチベーションを高め…

こやまもえ

理想のカフェをひらくための日々をメモ感覚で書きつづり、実現に向けてモチベーションを高めるためのnoteです。といいつつ25歳のただの日記です。わたしが人生に苦しんだり楽しんだりしている様が見れます。【都内パン屋で修行中】

マガジン

  • 一次発酵中

    通勤時間30分を利用してつぶやくマガジン。一次発酵中なので、まだ未完成の言葉たち。更新がない日は、お休みか寝坊です。

  • じぶんごと

    わたしが経験したこと、今も戦っていることの記録。自分のための記録ですが、同じような境遇で頑張っている誰かのためにもなれば嬉しいです。

  • こやまのショートショート

    文章くらい好きに書きたいので、物語を始めました。わたしが書いてるだけで、わたしとは全く関係のない登場人物たちの物語です。

  • 日常茶パン事

    パン修行の日々を気まぐれでつづる。

最近の記事

友情を哲学する

「東京では友達が少ないから」と言い訳しなくなった。上京したばかりの時は、それを言い訳に引きこもっていたのだけれど、今は友達がいながらも引きこもっている。(つまりはインドアなのだ) 実際に友達が増えた。いや、正しく言うと、自分が「友達」と呼びたい人が増えた。 学生時代の友達とは違い、あらゆる年齢、性別、職業の友達ができた気がする。そうなると、自分が「友達」と呼びたい人と、まだそう呼ぶには気恥ずかしい人との差が気になるようになった。自分は何をもって、「友達」と呼んでいるのか。

    • 毒母は連鎖する

      という本を読んだ。サブタイトルはこうだ。 「子どもを所有物扱いする母親たち」 ふらっと本屋に入って、その時に目についた本を買うのが好きだ。その時のわたしが、意識的に、ときに無意識に、興味のあることが分かる。 この本に出会ったのは、ちょうどこの記事を書いた日だった。 仕事の休憩1時間で、書き上げた。ちょっと泣きながら。(職場でこっそりしくしく泣いてたのは、振り返ると不審者だな。。) ずっと書きたかったので、題名だけ下書きに残していた。学歴コンプレックスだからこそあえて

      • 使わない言葉

        「戦利品」と、買った本をインスタのストーリーに載せて、正しい使い方じゃないなと思って消した。 「なんであの投稿消したの?」と彼氏に聞かれてそう答えると、「考えすぎな気がするけど、俺も気をつけてる言葉ある。派遣さんを"使う"とか」 使う言葉は、その人を表していると、ずっと思っていた。が、もしかしたら、使わないように気をつけている言葉の方が、その人を表しているんじゃないか。 使う言葉は、時代の流れで一般化した言葉があったり、その場のノリ、「こう言った方が伝わりやすいかな」と

        • Fラン中退

          わたしの最終学歴である。ここだけ見ると、お先真っ暗のような響きだ。 高校は、地元岡山の進学校(笑)に通っていたので、周りはほとんど大学に進学予定だった。高校三年生、夏休み終わりの、教室のあのピリピリとした空気を、今でも思い出す。 製菓製パンの専門学校に行きたかったわたしは、そんな空気の中、友達に言い出すこともできず、オープンキャンパスすら、母に行くのを反対されたあたりで、心が折れた。 周りに合わせようと頑張っていたものの、息ができなくなった。対人恐怖症と病名がつき、教室

        友情を哲学する

        マガジン

        • 一次発酵中
          13本
        • じぶんごと
          13本
        • こやまのショートショート
          1本
        • 日常茶パン事
          2本

        記事

          winny

          という映画を朝から見た。感想と、ここ最近の思っていることをインスタのストーリーに書いたのだけど、賛否両論ある内容だった気がするのですぐに消した。 noteは、わたしの文章を読みたくて読みに来てくれた人ばかりだと信じているので、こちらに避難。 権力の横暴、メディアの闇。ただただ、虚しくなる。「日本の若い人たち、頑張ってください」と、今は亡きご本人の映像が最後に。未来の若者のために戦ってくれたのかなと勝手に想像して、泣く。 先日の選挙でも感じた無力感が再び訪れる。「若い人た

          躁鬱はいつまで続くのか問題③

          高校1年生の冬から9年間通っていた心療内科(病院は4カ所、最後の病院は1年半)を、ついに卒業しました。 日々充実しすぎていてリスケしまくっていたら、「大丈夫そうだから、またしんどくなったら来て〜」と先生の一言で、ゆるく卒業したのでした。薬もほぼ飲んでいないような少量だったので、離脱症状も全くなく。 これは、わたしの人生の中でも、わりと大きな嬉しい出来事。だって、10代の半分、20代の半分を、通院して過ごしていたのです。この9年間、どんなに葛藤があって、どんなに悩んで苦しん

          躁鬱はいつまで続くのか問題③

          話がしたいよ

          人を傷つけるのが怖くて、文章が書けなくなった。 わたしの書いたnoteを読んでくださり「なんかごめんね」と謝られるということが、2度ほどあった。それから自分の文章が、自分が、人を傷つけてしまっているのではないかと怖くなった。怖くなると、書きたいことが浮かんでいても、あえて書かなくなってしまった。 わたしが何か書きたくなるときは、いつだって心が動いた時だ。心が動いた時、そこにはいつも「人」がいる。 だれかと関わることで、心が動く。モヤモヤして、考えて、自分なりの「答え」を

          話がしたいよ

          下着

          なんで女の子の下着はキラキラかわいいのと、シンプルノーマルなのと、こんなに差があるの? 男の子の下着は、全部おんなじに見えるんだけど、なんで女の下着はこんなに差があるの? 自分だけのために、キラキラかわいい下着つけてる女の子っているの?なんで女の子だけ、こんなに差があるの?なんで女の子だけ、男のために見繕ってるの? お母さんは、なんでかわいい下着をわたしのために買ってくれたの?なんでなんで? って、小学生みたいな疑問。いや、小学生の頃はこんなこと気にしてなかったかか。

          うみべの女の子

          という漫画を読んだので、感想の記録。 LINEマンガでおすすめに出てきたので、読み始めました。 青年漫画なだけあって、性描写多め。が、全然えっちじゃない。なんか、風景のように、ただ淡々と二人のやりとりを見ているような、そんな感じ。 きっとそれは、あまりに現実的で生々しいからかもしれない。 小梅がほんのり憧れていた先輩に告白して「付き合えないけど口でしてよ」ふられる。(先輩ほんまにクソ野郎) ショックを受けた小梅は、自分に好意を寄せている磯部と関係を持つところから、話

          ¥100

          うみべの女の子

          ¥100

          何も無い

          「ここには何も無い。はやく東京に行きたい。」 一緒に帰る道中に、彼はそう言った。 大きな空、青い山、おだやかな川、部活帰りの日焼けした肌の君。 わたしにとっては全部がここにあった。ここにしかなかった。 上京して3年。異常なほどの満員電車にも、無心で乗れるようになってきた。反対に、彼は地元で結婚して子供もいるそうだ。 君を失ってから、わたしは何かを求めて東京に来た。今日も満員電車に乗って目をつぶる。あの帰り道の風景とにおいと君の声を、鮮明に思い出す。

          流浪の月

          朝早く目が覚めてしまったので早朝から映画を見た。それがもう、あまりに気持ちの落ちる映画だった。気持ちが落ちるほど、考えさせられる描写の多い、いい映画だった。 感じたこと、考えたことがあまりに多すぎるのだけど。たくさんありすぎてうまく言葉にできないから、その中で一つだけ「教育の怖さ」みたいなものに焦点を当てる。 文は、教育熱心な母親に育てられる。ある日、文は母親が庭の木を「育ちが悪いわね」と引っこ抜いているところを目撃。「お母さんは木を出来損ないだと処分したけど、僕の事も出

          異常な日常

          今日は遅番だったので、気合いを入れて家を出た。満員電車に乗るからだ。9時出勤の遅番は、通勤ラッシュと重なるので、とても苦手。 ちょっと早めに家を出て、まちの友達の出店にお邪魔する。「いってきます」っていいな、と元気をもらいつつ、またしぶしぶ満員電車に乗る. 人混みの中を無心で歩いている時、ふと我に帰ると、あまりの異常さに驚く。まっすぐ歩くことすらままならない人の多さと、それに無心でいられるようになってきている自分に、怖くなる。 いつか、都内の水族館で見たアザラシを思い出

          母の日

          GWに帰省した時に、花を贈った。 小言を言われることを恐れずに、母の日にプレゼントを渡せるようになったのは、社会人になってからだ。 小学生の頃は、お小遣いを貯めて傘を買っても、1週間で無くされた挙句「元はお母さんのお金だ」と言われたりした。「そんなものを買うより、もっと家の手伝いをしたらどうだ」とも。 ところが、社会人になってからは、プレゼントを贈っても、ただ嬉しそうにありがとうと言われるだけで、何も小言を言われることはなくなった。 母も一人の人間だとわたしが気づいた

          おかやまと暮らす

          という超個人的な活動を、年始から細々と、勝手にやっています。 東京での暮らしに、大好きな「おかやま」を取り入れる、ただそれだけです。なんでこの活動をやろうと思ったのか、やっと言葉にしようと思えたので、メモ。 帰れなくなる焦り 去年、わたしはひたすらに焦っていました。「岡山にはやく帰らなきゃ」と。 生まれ育った故郷である「岡山」が大好き。だからこそ、帰れる居場所が無くなるのが怖いのかもしれません。正直、実家がとっても心地の良い空間かと言われると、1週間もいれば居心地が悪

          おかやまと暮らす

          おじさんが無理すぎる。

          圧倒的な技術があるわけでもなく、仕事のスピードが早いわけでもないおじさんに、「もう少しこうした方がいい」と口出しされるだけでなく、わたしの作業に手を出してきてキレそうになってしまった。 こういうところが、本当にわたしの悪いところである。今回はキレてはないのでセーフとする。(怒りのオーラを醸し出してはいたので気まずそうにされてしまった) なぜ作業に手を出したのか、詳細を聞いたら、すでにわたしが対応済みだったので、さらに腹が立ってしまったのだ。 (詳細が専門的になってしまう

          おじさんが無理すぎる。

          〇〇でいい

          って言葉がとても苦手。わたしが大切にしている価値観や楽しんでいることに対して、「〇〇でいい」と言われてしまって、グサり。。 例えば、「カレーがいい」と「カレーでいい」なら、前者の方が圧倒的によいと思うのだけど、なぜ後者の言葉を使ってしまうのだろう。 カレー、もしくはカレーを作る人を見下しているからかな。妥協してやってる的な。それなら、とても切ない。 って書いてて思ったけど、こんなことを気にするなんて、きっと疲れている。 お風呂をためて、入浴剤を入れて、ゆっくり浸かろう