もし、視覚障害者が健常者の世界だったら

もしこの世の中が、車椅子の人が圧倒的多数で車椅子仕様に作られていたら、二足歩行の人々はどんなふうに生活するのか?

それを体験できるレストランで食事をした人の記事が面白かったので、私の感想といろいろ想像したことを書いてみる。
どんなレストランなのかは上記の元記事を読めばわかるけど、建物の作りやレストラン内でのルールが車椅子を利用してることが前提の仕様になっている。
天井がとても低くて二足歩行者の大人は入り口で頭をぶつけてしまうし、カウンターは車椅子に乗ってることが前提の作りなので椅子はないし、二足歩行の人は腰を曲げないと食事を食べられない。
お皿を持ち上げないで食べる、ちゃんとかがまないといけないなどのルールもあって、うまくできないと店のスタッフから注意されたり、店の裏から二足歩行者に対する愚痴が聞こえてきたりする。

記事の筆者さんは、ご飯を食べながら「もう帰りたい」と思ったのだそう。

この企画のメッセージは、障害は環境によって作られるということなんだと思う。
すごくいいと思ったのは、歩ける人におもりをつけたり足を固定したりして車椅子に乗せるのではなく、いつもの状態で障害者体験ができること。
この空間にいる限り不便は解決しないし人の対応も容赦がないから、かえって実感しやすそうだ。

視覚障害者バージョンもちょっと考えてみた。
単に建物を真っ暗にするというのだと普通のアイマスク体験と変わらないので、あくまでも目が見える状態で、視覚障害者仕様の世界に放り出されてもらうには?
それは画像がない世界かな?と思った。
弱視の人は画像も見るというのはひとまず置いておいて、画像が見えない全盲の人を健常者と仮定してみる。

PCやスマホは音声読み上げとキーボードで操作するのが主流でマウスがないオフィスとか、Voice Overが標準の操作方法になってる携帯ショップとかはどうだろう。
オフィスの場合、初めて使うシステムの扱い方の説明は言葉が中心で、音声読み上げが話す名称とキーボードのキーの名前を知っているのが前提で進められる。説明書には理解を助けるイラストや写真はない。
会議の時もホワイトボードやスライドはなくて、配られるのは点字資料と線が浮き出た表。
同僚や上司と会話をする時に「あれ」「それ」「これ」などの指示語を使って指を指して話そうとするとビジネスマナーに違反していると注意される。
ある休日、スマホの設定がおかしくなって携帯ショップに行ったらVoice Overの操作方法しか教えてもらえず、「親指と人差し指でつまみを回すようなイメージで画面をなぞって項目を選んでください」みたいな動作を当たり前のように要求される。

いつも画像や映像に頼っていろんなことを理解するのが当たり前な晴眼者はたぶん「お願い!画像を見せながら説明して!?その方が早いから!!それにPCの読み上げ速度が速すぎて意味がわからない!!」って混乱するんじゃないだろうか。
でも、その場の大多数は画像を必要としないし読み上げ速度も速い方が作業が捗るという。
「画像は導入コストがかかるのでちょっと難しいですね」とか、「読み上げスピードを遅くすると仕事が遅くなるのでなんとかして慣れてください」と断られてしまう。

こういうの考えるの、結構楽しい🤣

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