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爆弾

 僕は、自分が爆弾なのではないかと思った。僕とその同類は、生涯という時間軸の数直線上で、ずっと破裂を期待されてきたのではないか。そう疑わざるを得なかった。
 破裂がもたらすものは何だろう。壊滅的などこかの戦場の終局だろうか。1、2名の人生の終了だろうか。正直なところ、そのどちらでもいい。結果として、爆発した個体、仮に僕だとするその1つに、一体何が残るのか。
 それで子孫が反映すればいいと思う。誰かの居場所を邪魔するけれど、自分の種の居場所を作ってやる、そういうことをすれば、僕は生物みたいで、美しいと思う。
 ただ、例えばどこかの爆弾に刺さった釘のような粗い金属が、子孫を残せるだろうか。何かの居場所を奪った後の荒野に、花を咲かせられるだろうか。
 自分は途方もなく熟れている実だと思う。中身を曝け出したくて仕様がない。そういう衝動に駆られている。神経質な病人の妄想みたいに、檸檬にでも化けて、或いはレモンから変幻して、丸善を荒らすだろうか。
 僕は作られた存在だと思う。直接は言われなかったかもしれないけれど、何かのために生み出されて、そこに向けて真っ直ぐに育てられたと思う。でも、疑念を抱いたら、もう素直ではいられない。僕は自分が爆弾とよく似た性質を持っていることに気付いてしまう。
 僕は、気付いたときにはカンボジアの荒野の髑髏マークの奥に放置されて、自分の最期を想像するだけの生活を送るのかもしれなかった。誰かを殺すこと。或いは技術を持った誰かに拾われ、処分されること。この先には、そういう道しかないように思われる。僕は、存在自体が不毛な気がしている。
 自分でできることは、結局破裂だけ。誰かを傷つけることだけ。それは本懐の達成だから、誰かにとっては素敵なことなのだろうけれど、その誰かを、他の意識のことを考えたら、やはり爆発は素敵でも何でもないと思う。
 誰かが僕を丹精込めて作って、大事に育てるように運搬して、然るべき場所に置いた時、その労働の価値が認められて、この空間のGDPとやらは少しだけ上がった。けれど、それは生産から生産を引き出すものではなく、生産から破壊ないしはその準備をするものだ。そうした破壊に転じたら、次の破壊のための措置が取られる。僕と仲間は間接的かつ強制的に増殖させられて、地に満ちるばかりでなく、海にも空にも、やがては宇宙にも広がっていくことだろう。そこかしこで破局は起こる。
 そうしたら再生が始まると思う。建設され、伸長し、真の意味で地に満ちるものがあると思う。僕は、そのパートを担いたい。
 そろそろ、破裂が近い。僕は仲間に別れを告げて、然るべき場所にて、大地を揺らすと思う。それはきっと、広島やビキニ環礁を黒焦げにしたものほどではないし、ビルに突っ込んだ飛行機ほどのインパクトも残さない。ともすると、誰も知らない。でも、今までのことを総括するとそれこそ本望かもしれない。そもそも僕には目がない。ただ、ほんの少しの間、どうでもいいことに拘泥していただけ。
 
 その時、天に咲いた光彩に、その下にいた人々は目を見張った。誰かの心臓を揺らすような大きな音で、ほんの一瞬のそれは存在理由を示した。この時のためにずっとそこにいた。
 誰かは綺麗だと呟いて、一人そこを去った。普段は家族に言えない職業で生計を立てている男女が微かに笑った。つられて呆気にとられていた子供達も笑った。抱えられた赤子は振動に泣き出してしまう。
 偶然帰郷していた青年は思ってもみなかった再会に言葉を失くす。待ち合わせに遅れた男が焦る。散るまでには会いに行くと自転車を飛ばす。若いカップルが真下でキスをする。郊外の夜は少しだけ明るくなって、そしてまた暗くなった。

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