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門番

 例えば、長い時間をかけて用意しているものというのが、誰にもあると思う。それの完成を見るまでは死ねないと言えてしまうくらいに機会費用を払っていて、むしろ生涯の主目的の方が、そちらに移ってしまっているような。

 もしくは、多くの要員が動いているプロジェクトと言ってもいい。そこで支払っている費用は個々の時間どころの話ではなく、命や肉体、果てには種そのもので、要員の一人一人はその束縛を気にすることなどない。そもそも、束縛されていることを自覚したことすらない。

 純粋な肉体になれば、ここから動き出せないということはない。どこまでだって行ける気はする。しかし、そこで何をするのだろうとも思う。そこで命が尽きるまでの短くて長い間をどう過ごすか、皆目見当がつかない。知らない味や見たことがないものを見つけに行くのは、好奇心を満たすかもしれない。しかし、やはりそれでどうなるというのだろう。

 門番というのは、あくまで便宜上の仮称で、実際には様々な働きを経てここにいる。最初から門番として生まれたわけではない。ただ、今の仕事は間違いなく、ここにいることであり、それは何のためかと言われれば、逡巡なくたった一つの目的を答えられる。

 目の前には、相棒がいて、それもやはり複雑な経路を辿りながら、いくつかの鍛錬を熟した末に門番の地位に落ち着いた。不思議と顔立ちは似ていて、仕草や背格好まで似ている。同じ生活をして、常に向かい合わせだからだろうが、ここまでそっくりだと、門の真ん中には鏡があるのではないかと疑りたくなる。

 他愛もない雑談があって、門の内外のことを知る。如何ともしがたい混沌や、本当は近くに行って祝うべき僥倖や、身内の不幸話や失敗談。とにかく門は情報を通す。情報は脳に流れている。脳は一般的に閉鎖された器官であるとされるが、情報は流動的で、時たま脳を飛び出すことができる。

 門番の前任者は、何か圧倒的な力で殺されたという。それは実に英雄的な死である。おかげで守られたものを、我々はいくつも見てきた。ただ、その英雄的なる最期がいかなるものであったかを、我々は知らない。誰かの脳は情報としてそれを持っているかもしれないが、頑なな場所にひた隠しにされているか、もしくは、名もない途上で雲散霧消してしまった。

 いずれにせよ、確かなことは一つしかない。我々は前任者の死を知ってから、ここに来て、役職を与えられたのである。

 突然、ということはこの世にない、と少なくとも我々は考えている。ただ矮小な体と近視眼的な瞳では、前段階のいくつもの過程を認知できないだけである。只管構えることが仕事になってから、もう随分経つ。我々は自分の限界を認識して、ただ危機を認知した瞬間に動けばいいのである。そうして回りだした運命の上で、おそらく門番の定めはほぼ定まっている。しかし、守れる者の数は変えることができる。

 今が、その危機。俄かに動き出す時。

 私は相棒と合図を交わす。この時が来ることを知ったのは、同じタイミングのはずなのに、もうとうの昔から知っていたというような素振りである。お互い様。

 そうして、爆弾を腹に抱えた女を連れ出す。女の頭はまだはっきりしていて、朧げに自分の行く末を悟りながら、家族や将来のことを話す。後ろでは、門番が消えたことに、気付いた誰かが騒ぎ出している。情報は伝播していく。

 我々は爆弾を抱えた女と旅路を往く。できるだけ遠くへ、見つかりにくい暗がりがいい。窪まった、爆弾の影響が出ないところがいい。慎重な場所選びが始まる。

 女がこの仕事は初めてかと問うてくる。相棒が当然だと答える。女の仕事は偉大であった。聞いているかぎりはそう思う。しかし、偉大なことをすれば、当然リスクは高まる。幾度も繰り返せばツケが回ってくる。それが、今回は爆弾だった。

 爆弾は大昔に南から伝わってきたものだった。どこから拾ってきたかを尋ねる。裏路地に仕込まれていたとだけ、女は答える。爆弾は着実に命を奪いに来る。本物は今日初めて見たが、そのことは目の前の状況からよく解る。


 例えば長い時間をかけて用意しているもの、もしくは、多くの要員が動いているプロジェクト、これまで我々はそのために行動してきた。女もそれは違わない。いや、これまでの時間を考えれば、この爆弾女の方が熱心だった。我々はその片付けを背負わされていただけである。

 今、守るべき門の遥か遠くに来て、何もかも放り出してよいような状況ではある。それでも、自分達の業務は続いている。女の方はもう黙りこくっている。意識が朦朧としている。ただ譫言を漏らすばかりになっている。我々はそれを黙って聞いている。なおもその千切れそうな体を運び続けながら。

「爆弾はもう少しで破裂する。ああ、敬愛する家長様よ。この上なく美しき家族よ。永劫の繁栄と、悠久の安楽を」

「永劫の繁栄と、悠久の安楽を」

 門番たる我々も復唱する。

「麗しき家長様は、我らに目的を下さった。意味を下さった。無為に過ごすには、あまりに長く、親愛なる家族のために使うには、あまりに短かった。おお、この上なく崇高な時間よ。私の轍の痕を誰も見つけず、私の働きの跡を誰も認めずとも、ただ全体のために、ただ子供達のために、生涯を費やせば、自ずから我等は同志……そうだろう、門番?」

「ああ」

 女は事切れた。ガックリと項垂れた首は今にも切れそうで、全身からは殻の中身がはみ出ている。我々にとって目的と手段は生まれた瞬間から自明であった。手段というのは、この時間と肉体の全てのことを言った。目的というのは子供達のことを言った。女は当然、忠実で従順で何よりも純粋な存在であった。精神も肉体も完璧に純潔で、爆弾以外の穢れを知らなかった。多くの仲間はそうして死んでいくのである。

 我々はその場所に辿り着いた。もっともそこを「その場所」と定めたのも我々である。かつての職場である門からどれくらい離れたのか、測って初めて気付いた。それほど夢中で運び続けてきた。 

 今、枯れ枝と萎れた実のように横たわる女を、私と相棒は心から愛しながら食べるのである。忌まわしき爆弾もろとも噛み切るのである。我々は肉がはち切れるまで、女を食い荒らした。

 ふと、上を見上げた。

「相棒よ……」

 私は息も絶え絶えそう声に出した。

「ああ、解っている」

「その場所」は道に沿うように倒れた倒木が作った穴であった。少し奥まった日陰で誰も来ないような暗がりであった。しかし、そこに微かな光が差し込むとき、我々の目には鮮やかすぎる白い光が一斉に蠢きだすのである。

「爆弾だ。全て」

「名をシロユビヒカリカビという」

 爆弾は雨を降らす。邪悪な胞子である。それは我々働き蟻の卑小な体には耐え難い吹雪である。

 ただ、恐ろしいことに、そして実に罪深いことに、爆弾の発生源たる親玉は、敬愛する我々の母や、門の奥に広がる合理的な巣や、次なる子を育む家長と同様に、美しかった。圧倒的な美しさであった。全てを忘れ、身を捧げたくなるような蠱惑的な存在であった。

 その時、頭を過ったのは、実に恐ろしい考えであった。爆弾を抱えてきた女の「爆弾はもう少しで破裂する。ああ、敬愛する家長様よ。この上なく美しき家族よ。永劫の繁栄と、悠久の安楽を」という言葉は、全てこの爆弾の母に向けたものではなかったか。頭まで爆弾に食われ、最後に発したのは、故郷を滅ぼす悪魔に捧げた祈りではなかったか。身の凍り付く思いがした。

 生命の息吹を孕んだ忌避すべき風を全身に浴びた我々は肉体と脳が解かされるより先に、すべきをせねばならなかった。門番として、最後の仕事をせねばならなかった。

「故郷に、私の種の家族に、栄光あれ」

 我々は声を揃え、口元に湛えた鋭い刃で互いの首を引き千切った。後には白い爆弾に包まれたまま、息絶えた3つの小さな遺骸が残るのみとなる。そこに降り積もり、はためくのは、小さな爆弾の、雪みたいな胞子である。

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