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生について考えた2021年


(「あけましておめでとう」がはじめて言えなかった年だったので、遅れての振り返り投稿を記録的に書いてみました。)


2021年は27年の人生の中で、最も死を身近に感じた一年だった。
だから、生きることをよく考えていた。


ひとつめの死は、父方の祖母の死。
亡くなった祖母は、亡くなる前まで介護支援は一切受けずに自力で生活していた。
わたしが顔を出すと、いつも満面の笑みで出迎えてくれていた。
亡くなった後に祖母の家に行くと、4年前からの血液検査データが出てきて、用紙の端に「うっ血性心不全」とメモ書きされているものが見つかった。
弱音を吐かない、たくましく強い女性だった。
最後に聞いた言葉は「元気でやっていくんやで」「お父さんを大事にしてあげてね」だった。


ふたつめの死は、元同僚で看護師歴は35年ほど上の先輩だった。
職場では、人間関係や看護の精神・技術、生き方まで、さまざまに教えてもらった大好きな先輩だった。
体調不良で退職されてから、一年後の訃報。ショックで一時立ち直れなかった。


みっつめの死は、担当患者さんの死。
元気に笑って話していて、身体的にも大きな異常なく経過していた方だった。亡くなった時はすぐに信じられなかった。


看護師の仕事をはじめて、次で6年目になる。
この仕事をしている限り、人の人生や生死に関わり続けていくのだろう。


けれど昨年体感した「身近な死」というものは、自分の生についてより深く考えるきっかけになった。


「死」に触れることは怖い。
それは、何度経験しても同じだ。
だからこそ、死を直視し「生」を生き切れるようになりたい。
そう感じ、彼岸花やヌード(性)を撮り始めるようになった。


写真は、今の自分にとって、「今を生きた形を残す媒体」だ。
撮る側・被写体をやっていると、自己探究が進み、自己の感情の居場所づくりもできる。セルフケアでありわたしの生につながっている。


特に人間を撮ることは面白い。無限の可能性を秘めているから、好奇心をさらに掻き立てられる。


やっぱりわたしは、人が好きだし、人間を探究することが好き。
面白いことをとことん追求したり創造していくのが好き。


面倒なことは嫌い。ひとりだけの静かな時間が回復と創造に必要で、ずっと人と一緒にはいられない。


そんなわたしの当たり前に、気づかせてもらった一年でした。

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