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僕たちにできることはあまりに少ない


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 案の定というべきなのかもしれないけれども、新型コロナをめぐって世の中は大混乱に陥っており、学校は休校になるらしいし、マスクに続いてトイレットペーパーも店頭から消えた。さらには、ティッシュまで買い占めの対象になっているという。
 もうめちゃくちゃである。

近年稀にみるめちゃくちゃ

 阪神淡路大震災やオウム事件のとき、そして東日本大震災のときでさえ、ここまで全国的にめちゃくちゃだったことはないのではないだろうか。
 少なくとも、首都圏が計画停電だなんだと言っていたときも飛行機は飛んでいたし、たまたま仕事で徳島に行ったら、繁華街は煌々とネオンが輝いていて、ずいぶんと気持ちが和らいだものである。
 あのときは薄暗い景色が無意識のうちに日常になっていたので、華やかな電飾が煌めいているのを見て、やっとそのことを悟ったのだった。やっぱり、物理的に暗いと気分も沈むのだ。

無理は禁物

 さて、こういうめちゃくちゃなとき──いや、普段からそうなのだが──僕のような非力な人間にできることはあまりにも少ない。
 だいたい、普段からして自分の面倒を自分で見るのがやっとというありさまなのだ。もちろん世の中がよりよくなって欲しいとは思うけれども、積極的に効果のある働きかけができるのかと問われれば非常に怪しい。
 それに、「27度のお湯を飲むとコロナウイルスは死ぬ」というデマを善意で広めた人たちのように、空回りをして被害を拡大してしまってはいけない。
 誰かの役に立ちたい、何か有益なことをしたい──そういう気持ちはとても尊いものだと思うけれども、あなたが健在であることもまた大切なことだ。だから、無理をしてはいけない。

「できる範囲の日常」を続けよう

 休校によってめちゃくちゃ長く、そして外出が憚られる春休みが訪れてしまった子どもたち。急遽テレワークになったり、あてにしていた仕事が吹き飛んだり、子どもの世話と通常営業の両立を迫られて死にかけている大人たち。
 もうこれまでの「日常」は破壊されてしまったかもしれない。しかし、それでも毎日は続く。そしていつか、また元どおりの「日常」が(たぶん、おそらく)戻ってくるはずである。
 そのときのためにも、いま「非日常」によって壊れてしまわないためにも、どうかできる範囲で日常を続けて欲しい。繰り返すけれども無理をする必要はない。とにかく、あなたが楽になる方向で日常をやって欲しい。
 僕もいつも通り、朝は散歩がてら出社して、猫を撫でながら仕事をし、昼食を作り、また猫を撫でながら今度はうたた寝し、そして夜はしっかり湯船に浸かってから眠剤を入れる──そういう「できる範囲の日常」をやっていこうと思う。

(これより下に文章はありません)

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