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記紀神話の成立時期について

 歴史雑記164
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はじめに

 以前、「稗田阿礼が『古事記』の内容を暗唱していた」という誤謬を糾す目的で、記紀の編纂過程についても言及した記事を書いた。

 今回はそれを振り返りつつ、記紀神話が7世紀とか8世紀の所産とは考えられないことを改めて確認しておく。
 どうも日本史の一部では、記紀神話の成立をかなり遅らせて考える一派があるらしいが、「文献学的に」「普通に」考えると、この説は成り立たない。
 いまだに津田左右吉の呪縛でもあるのかわからないが、無理なものは無理、論証不可能だというごく基礎的なことだけでも書いておこうと思う次第である。

推古朝にすでに文字化されていた

 これは前掲の記事でも書いたことだが、『日本書紀』の推古天皇28(620)年に以下のような記述がある。

十二月庚寅朔、天有赤氣、長一丈餘、形似雉尾。是歲、皇太子【聖徳太子】・嶋大臣【蘇我馬子】共議之、錄『天皇記』及『國記』、『臣連伴造國造百八十部幷公民等本記』。 

※割注は筆者。

 この時点で三種類の書物の編纂が企図されたわけだが、この事業が口伝の状態にあった系譜や神話を、いちから文字化するものであったとは考えがたい。
 既にかなりの漢籍や漢訳仏典が渡来していることからもそれは明らかだが、もう少し突っ込んで論証しておこう。

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