スクリーンショット_2019-08-01_12

【歴史雑記】中道平林氏の没落

 歴史雑記015
(本記事は月額500円の定期購読マガジンに含まれています)

 先日、とある研究者さんからある平林姓の人物について照会が入った。結果的に、僕が属するものとはかなり以前に分かれた系統の人物であるらしく、あまり役に立つお返事ができなかったのだけれども、せっかくなので僕の属する一族について、面白いところを書いてみようと思う。
 当主が遊びに遊んで没落するお話なので、笑って読んでいただければ幸いである。

 さて、僕の連なる平林一族は、近世初期には現在の和歌山県橋本市中道(なかんど、と読む)に大きな屋敷と広大な農地を有していた。二本差しも許されていたという。
 近代に入ってからも、立派な屋敷に加え土蔵がふたつに馬が二頭おり、堺にその年の米(もちろん小作人を使って耕作している)を売りに行くのに、「平林家の土地以外は川と海しか通らずに行けた」という豪壮さであった。
 いま仮に、この一族を「中道平林氏」と呼ぶことにする。

 中道平林氏の発祥については、確かなことはわからない。
 手元の過去帳では、正徳三年(1713)六月二十八日に没した「秋光妙本信女」がもっとも遡る記録であるが、これは女性(俗名などの記録はない)であるから家の発祥はそれよりも古いだろう。

ここから先は

1,864字

¥ 300

サポートは僕の生存のために使わせていただきます。借金の返済とか……。