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◇たくさんの感謝で人は成り立っている。~常に当たり前の世界で生きているということ~#50






1日10個、感謝出来ることを探してみると意外と難しい。


1日10個の感謝を探すなんて余裕っしょ~!!!
なんて言っていた自分の頬をつねってやりたい。


感謝出来ることってなんだろ?って
探すのに「んーっと………」って頭をひねって

やっとひとつ、またひとつと
自分の中から答えが出てくる感じだった。


それほどいつも自分が多くのことを
いかに〝あたりまえ〟だと思っていて

感謝が出来ていないことのほうが
多いことに気付いた。


『この世界は当たり前なんてひとつもない。」
という言葉は今まで耳にタコが出来るくらい聞いてきた。


これまでの私が理解出来ていたのは
ほんのわずかな部分だけだ。


そんなわずかな部分しか理解出来ていなかったから
聞く人からすれば綺麗事にしかすぎなかったのだろう。


だけど、いろいろな経験を重ね少しずつ
その言葉の意味の理解を深めていくたびに


「いまこうやって生きれているのも本当に有り難いことなんだなあ…」
と心から思えるようになってくる。


きっと人間というのは
本来、たくさんの感謝のうえで成り立っているものなのだろう。


*



こうしていまも当たり前のように生きているし
いままでも当たり前のように生きていたから

そりゃあ、生きるのは当たり前に思うし
生きていること、生きられることに
感謝の気持ちが生まれないのも当然だ。


だから、私は「生きるのは当たり前の世界」に生きていた。



…でも、本当に生きていることも
生きられることも本当に〝あたりまえ〟のことなのだろうか?



呼吸が出来るのは当たり前。
美味しいご飯が食べられるのは当たり前。
話せるのは当たり前。
耳が聞こえるのは当たり前。
手を動かせるのは当たり前。
文章を書けるのは当たり前。
目が見えるのは当たり前。
欲しい情報がすぐに手に入るのは当たり前。
笑って過ごせるのは当たり前。
また今日も朝を迎えられるのは当たり前。



あたりまえ=自分にとっては日常的・当然のこと
ということになるから

当然、感謝の気持ちなんて生まれなかった。



そのため、私は日常的なこと・当然のことには
感謝が出来ていなかったということだ。


そもそも自分にとっては
どれもあたりまえだと思い過ぎているから

意識しないと
「それらはあたりまえではない。」ということに
気付けないのだ。



*


この感謝出来ることを10個探すことで
そうやって日常生活において

普段気付けない部分にフォーカス出来るようになり
「これって本当はあたりまえじゃないんだ…」
ということにたくさん気付いた。


気付くと同時に
「本当はこんなにも恵まれているんだ…」
ということが身を持って実感し

心がジーンと温かくなった。


いまこうして呼吸していることは
自分の体が正常に働いてくれているおかげだし

こうして文章が書けているのも
目が見えるからであり、脳が動いているからであり
手がちゃんと動くから。


目が見えることも
手がちゃんと動くことも
脳がきちんと働くことも
自分の体が毎日正常に動いてくれることも


すべてあたりまえなことではない。

目が見えなければ
文字を打つことも難しいし

手がなければこんなにたくさんの文字を楽々打てないし

そもそも脳が動いてなければ
意思疎通も出来ないし
今日も楽しくおしゃべりしたり笑ったりできない。


どんなことも本当はあたりまえではないのだ。



*



こうやって私たちは
本来は毎日たくさんの感謝で成り立って生きている。


だけど、どんなこともあたりまえすぎて
意識しないと気づかないものだし
すべてを全力で意識していたら脳もパンクしてしまうだろう。


だから、いまの日常はあたりまえで作られていってしまうが

本当はどれもあたりまえなことではなく
たくさんの感謝のうえで人は成り立っている。


私たち人間はついついあたりまえの世界で
生きてしまいがちだけど


少しでも多くのことに対して
「これはあたりまえではないんだ。」ということに気付き


感謝のうえで成り立っているんだということを
忘れずに生きていきたいな、とそんな風に思った。


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