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◇自分と向き合った人だけが、本当のダイヤモンドとして輝けるんだ。#72




誰かを妬むことも憎むことも
羨ましがることも恨むことも

簡単に出来てしまう。


それと反対に

誰かを妬んでいる自分
誰かを憎んでいる自分
誰かを羨んでいる自分
誰かを恨む自分


を認め、向き合うことは
そう簡単にはできることではない。


だからこそ

自分自身に意識を向けて
自分と向き合うことが出来る人は

内面から溢れ出る輝きやキラキラを
手に入れられるのだ。


*


宝石もただ磨いただけでは
綺麗にはなるけど

どこか物足りない輝きになる。


でも、その宝石を
念入りに心を込めて磨くことで
他にはない輝きを放ち

宝石の中でも
特に人の心を動かすような宝石になるのだろう。


それはきっと人も同じだ。


人は誰しもダイヤの原石だとよくいうけれど

誰かを妬んだり恨んだりする行為をしている人は
キラキラと光り輝くダイヤになれるのだろうか?



たとえ妬んでいても恨んでいても
光輝けることが出来るとしても
本物の輝きにはどこか届かない。



自分と向き合って向き合って
向き合いまくるからこそ

人の心を動かせるような
宝石のような存在になれる。


自分と向き合うことは
自分の中の原石を磨いていくということ。


そして
ダイヤモンドを磨いていくことでもあるのだろう。


*



ダイヤモンドはその場にいるだけでも

人を魅了させることが出来るし
そこにあるだけで周りを明るくする。



たしかに私たちは誰だって
ダイヤの原石である。

そして磨けば
キラリと光り輝くダイヤモンドになるだろう。


でも、何もせずに光輝くダイヤモンドになれるだろうか?



誰かを憎んだり恨んだり
悪口を言ったり揚げ足をとったりすることで

本物のダイヤモンドになれるだろうか?


本当にそれは〝美しい輝き〟と言えるだろうか?


私はそうは言えないと思う。
いや、言えないだろう。


ダイヤモンドのように

キラキラと輝けるのも
誰もを魅了させるような美しさになるのも

自分ととことん向き合うからこそであって
簡単には出来ない

弱い自分やドロドロした黒い感情を持っている自分を
きちんと認めることが出来るからだ。


自分自身とちゃんと向き合った人が
本当のダイヤモンドとして光輝くことが出来る。



*


すべて難しいものを選べということではないし
難しいことがいいことではないけど


自分にとって

難しいこと=自分を認め向き合うことを避け
簡単なこと=妬むことや恨むことなどを

選び続ければそれ相応のものしか得られない。


もし本当のダイヤモンドとして輝きたいのなら
表面ばかり磨いていては本物は手に入れることが出来ない。

どこか光が物足りないダイヤモンドになるだろう。


でも、表面ではなく
しっかり奥底まで磨いたら

キラリと光り輝く
本物のダイヤモンドになれるだろう。


どちらがいいかは自分で選べる。


私は本物として輝きたいし
本当の輝きを放ったダイヤモンドになりたい。


だからこそ
これからも自分からは逃げないで
しっかりと向き合っていく。


あなたはどんなダイヤモンドになりたいですか?



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