手紙を書くということ。
去年のクリスマスに退院して、
とりあえず自宅療養半年という目標をひとまず達成できたので、
ここ3日間ほどかけて、お世話になった先生方に、
御礼と近況報告を兼ねて、
ずっと手紙を書いていた。
近くの医師と連携をとっては頂いているものの、
主となる医療機関は県外の病院なので、
この6ヶ月間の様々な出来事や体調の報告と、
こうしてなんとか自宅で生活できるまでにして頂いた事への溢れんばかりの感謝を書き綴っていたら、
気づいた時には家にあったすべての便箋を使い果たしていた。
私は、左手は弱いけど、幸い利き手である右手の握力は10㎏以上あり、文字は割としっかり書ける。
とはいえかつては35㎏もあった身からすると、文章を描き続けるのはなかなかの重労働で、何行か書いては休み、を何度も繰り返した。
さらにPCやスマホでのやりとりが主体となった今、いつでもdeleteやペーストできるのを良い事に、あまり文章構成を考えずに書き始めるという悪い癖がついてしまったようで、
久々にボールペンを握ったは良いものの、
自らが書いた文章を読み返しては納得いかず、
何枚も書き直す羽目になってしまった。
それに手紙は、自分が書いてから相手が読むまでのタイムラグが長い。
あっ!と思って追記することも取消することもできない。
LINEのようにすぐ返信があってそれにまた返答できる、即物的なやり取り慣れてしまった私は、
このすごく一方通行な連絡手段での言葉選びや、何をどこまで書くかといったことに、結構悩まされた。
結果、3日かけて5通の手紙を書き終えた頃には、もう頭も身体もぐったり。笑
でも、手紙を書き終わった時、
自分がなんだかすごく満ち足りた気持ちになっていることに気付いた。
そういえば、子どもの頃はよく手紙を書いていた。
小学生の時に兵庫から広島へ引っ越してきたのだけど、今のように携帯なんてなかったから、兵庫の友達とは手紙で交流をしていた。
中学や高校の頃も、授業中は大体友達に手紙を書いていた。
懐かしい。
隣の席にいるのにお互い手紙を書いていた。笑
休憩時間も喋るのに。笑
なんか、手紙だと、会話ではなかなかこっぱずかしくて表せないような色々な感情も、素直に伝えられるのが好きだった。
だから今もこうして文章を書いているのかもしれない。
先生方にお手紙を書きながら、ドン底だった頃の自分を鮮明に思い出した。
これからの人生に絶望しきっていた事、
そんな私にずっと寄り添い出来る治療を試み続けてくださった事、
PT・OTの先生にいっぱい元気を貰って少しずつ前を見れるようになれた事、
車椅子にも座っていられず食事も横になったまま流し込んでいたのが、片足で車椅子を漕いで移動できるまでになった事、
久しぶりに外に出られた時、空気が美味しくて、匂いが懐かしくて、泣きそうなくらい嬉しかった事。
入院していた間、自分1人では決して成し遂げられなかった色々な大切な事を思い出した。
私にとって手紙を書くというのは、自分の中にあるその人との出来事や感謝の気持ちを掘り起こすことで、今の自分を再認識する大切な作業なのかもしれない。
しばらく忘れていた。
社会人になって忙しさを言い訳にスマホやPCでのやりとりしかしなくなっていた。
それどころかメールやLINEの返信も忘れていることさえあった。
今は便利な時代だから、すぐに人と繋がれて、すぐに伝えたい事を伝えられる。
でも何か足りないと思うことがある。
それは多分相手の事を考える時間なんだな。
手紙を書いている間、
手紙をポストに入れてからそろそろ届いたかなと気にかけている間、
どんな顔して読んでくれているかなと想像する間、
ずっと相手の事を考えている。
そして自分は生かされているんだなと気付く。
せっかく前より時間だけはあるのだから、
できるだけ、
この大切な作業をするようにしようと思った。
今頃、そろそろ、届いたかなぁ。
ちょっと早めの、
暑中お見舞い
申し上げます。
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