それは本当に、私だけのせい?
たとえ何があっても、誰が何をしても、その道へ進むと決めたのは私。
そうやって他責にしない精神ってかっこいいし、私もそうありたいと思ってきた。
でもそれは時に、自分のせいにしすぎる危険性も孕んでいる。
*
高校2年生の頃、合唱部の部長兼学生指揮(技術面の指導係)になった。兼任せざるを得なかったのは、友人が辞めてしまい、同学年の部員が私一人になってしまったから。
先生まで合唱に詳しくない人に代わってしまう事態に、心配した先輩が引退後もコンクールまで残ってくれることになったのだけど……これが地獄のはじまりになるなんて。
毎日毎日、説教三昧。「後輩の指導ができてない」「部長としてどうなの?」「こんなレベルでコンクールに出るつもり?」。まるで鉄の雨のように心に降り注いだ言葉たちは、やがて心を焼き尽くした。
毎朝目覚めるたび「また1日がはじまってしまった……」と嘆く。部活のないテスト期間はあからさまに調子がいい。音楽室のある4階の渡り廊下からは、何度身を投げようと思っただろう……。完全にどこか精神を病んでしまった。
時は流れ、先輩の卒業が近づいた頃。感謝の言葉を述べるついでに「何度も死にそうになりましたが」みたいな言葉を挟んでみた。
すると先輩は、たいして驚きもせず
「全然気づかなかったー。言ってくれればいいのに」と。
それは、本当に心の底から苦しんだ半年間に対して、なんとも軽すぎる返事だった。
*
苦しくても辞めなかったのは、私。
言い方について何も伝えなかったのは、私。
それでも。
こんなにも深く傷ついたのは、私だけのせいなのだろうか?
私だけが変わるべきなんだろうか?
そんなことを思えるようになったのは、先月まで放送されていたドラマ『最高の教師』を観たから、なのだけど。
今ならあの頃の私に言ってあげられる
「あなたのせいじゃない」と。
「ちゃんと "あなたの言葉に傷ついた" と言ってもいい。それは他責じゃない」と。
だって私が伝えなければ、先輩は同じようにまた誰かを傷つけるかもしれない。防御だけ頑張っても、攻撃はなくならない。
そこまで踏み込むのは、正直しんどいし
そこまでやらなくてもいいのだけど。
ただ。
傷つけられた上に、自分でも塩を塗らないでほしい。「傷ついたのは私のせい」なんて、そんなの悲しすぎるから。
これ以上傷つかないように、まずは自分を守ってあげよう。すべてはそれからでいい。
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