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何をしても満たされなかったのは

数年前、やっぱりなんかおかしいな、と思い始めた。

子どもの頃に憧れた歌を作ることも、ライブをすることも叶えている。やりたいと思うことを書き出して、大きな夢だって計画立てて達成してきた。

それなのに、どうしてだろう?
何をやっても心が満たされない。

やりたいと思って始めたことだって、準備の途中で苦痛の方が大きくなる。当日すら楽しめなくて、終われば「次は何をすればいいんだ」って途方に暮れる。

ねぇ、夢を叶えれば幸せになれるんじゃないの?

……

それから、やり方を変えてみようと思った。

やりたいことリストも、本当にやりたいのかどうか精査するようにしたし、途中経過もできる限り楽しめるように工夫した。

でも「楽しいと思えることだけしよう」と思ったら、今度は何もできなくなってしまった。なんて面白みのない人間なんだろう。

行動の起点には2種類あるらしい。「自己愛」か「怖れ」か。

怖れや不安から作り出される行動は、効率やスピードが重視され、タスクのように処理される。一方、自己愛から作り出される行動には、前者では感じられない幸せな感覚が宿る。

おそらく私の行動の多くは、「怖れ」が起点になっているのだろう。

決まった時間に眠るのは、次の日寝不足でしんどくなるのが怖いから。書く習慣を続けているのは、途中でやめるべきではないと思っているから。

やりたいことだって、「達成すべき目標」と捉えた瞬間、早く終わらせてしまいたいタスクになってしまう。それが「自分の心が喜ぶから」という理由で動き出せたなら、途中経過だってすべてが幸せに感じられるのかもしれない。

自分の人生の鍵を握っているのは、いつだって自分だ。
心の中にある声を、受けとめるか聞き流すのかも、自分にかかっている。

思えば私はずっと、「やっているだけで幸せ」という状態に憧れ続けてきた。
だから自己愛から始まる行動が、できるようになりたい。

自己愛って、自分の中にあるものをいいか悪いかで評価せず、「ただ、ある」と受けとめることから始まるんだって。まだ半信半疑だけど、たったそれだけのことから始まるのなら、やってみて損はないんじゃない?

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