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心理的距離と承認欲求②〜承認欲求の正体〜

こちらの記事の続きです。


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子供は発生した感情を抑圧することが難しいので、受け止めてくれる人物が不在であった場合はその感情自体を感じないようにしてその家庭での生命を生き抜こうとします。それが唯一の生きる術なのですね。
そのためBパターンの心理的距離で生きている場合感情鈍磨に陥っていることが多いのと、一番近しい人物がものすごく遠くにいますので
誰かの生死においても何も感じないという、以前100日後に死ぬワニの記事に書いたのはこうゆうことだったのですが

※しかし両親の死には空洞部分の全てが乗ってきますから両親どちらかとの死別がBパターンの人の精神を崩すきっかけになることも多いようです。

都度発生する感情を外に出しながら生きている場合体内の風通しが良く左側のように天地からの情報をキャッチしやすくなります。こちらは「感じる生き方」、要は直感力があるわけですね。

身体理論


しかしピンク部分に本音を蓄積しエゴでそれと違う表現をしようと考えている場合、頭(思考)、体(心)、天地からの情報が全て分断された状態になり、思考が主導権を握るので「考える生き方」になります。
特に女性は身体構造上”考える生き方”に適していないので、本能的に感じる力を取り戻そうとして不特定多数の男性との肉体関係に溺れたりします。そのまま快楽の依存症に陥ると加齢による容姿の劣化に耐えられなくなり顔や体に異常なほど手を入れる人も多いようです。
また体内の底に溜まり腐敗しかけている感情を発散させるために感情が大きく動く出来事を引き寄せますから、必然的に波乱の多い人生にもなってきます。

人体図ピンクの部分には感情のタンクがあります。
個人的な感触では材質は硬めのシリコンです。

感情抑圧とはこのタンクに蓋をして重石を乗せている状態ですが、更に上から入ってくる感情がありますのでどんどんタンクが膨れていき
時間の問題でヒビが入ったり、爆発して吹っ飛ぶことがあります。

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本人は何に対して鬱々としているのかわからず、溢れた怒りを身近な人物にぶつけることから始めますが、これがターゲットを絞った誹謗中傷に発展し、最終的には自殺や無差別殺人に至る経緯であると私は考えています。


・・・このnoteに限っての余談ですが
タンクの底に溜まり腐敗しかけている感情を認めてくれるのがヴィジュアル系の世界観であるんだろうと思います。
怒りの下に隠された万人に理解されないであろう多くの負の感情を歌詞やステージ、生き様などを通して代弁してくれる存在がV系バンドマンであり
演者の側も表現することで自身の感情のタンクに折り合いをつけていると感じます。
だからお互いに”救われた”と体感するのでしょうね。

そしてこのタンク内に溜めている感情が多ければ多いほど快楽に依存します。
虚無感。これは一部の感情を感じないようにすることが常習化した時に発生する感覚、これは感情というより感覚だと思います。
虚無感を埋めるために快楽に依存するのですね。
ライブ、アイドル、食べ物、薬、ギャンブル。みんなみんな心の中の穴を埋めようとする作業ですが、その穴の正体は虚無感、つまり一部の感情鈍磨であり、エゴが暴走した状態です。


話を戻して

感情のタンクの一番上に鎮座するのは「怒り」です。
では一体何に怒っているのでしょうか。

私の心理学ではいつもお伝えしていますが、感情(本音)=自分自身です。
(これは私独自の見解ではなく交流分析での考え方です)
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例えばあなたとお母さんが、一緒にテレビを見ています。
あなたが「これが好き」と思うキャラクターがテレビでおしゃべりをしているとして、テレビに齧り付いているあなたにお母さんが
「そんなくだらないものをいつまで見てるの?」とチャンネルを変え
「あんなの見るのやめなさい。お母さんあれ大嫌いよ。」と、言ったとします。
あなたの素直な「これが好き」は、あなたが大好きなお母さんに否定されてしまいました。
あなたはそれを、それが好きな自分が否定された と、感じます。
これが、毎日続きます。
※あなたはこれが大好きなのね。と一旦認めた状態でお母さん自身の気持ちを述べる場合は”肯定”になります。

素直な感情(自分)を受け入れてもらえなかった
       ↓
受け入れてくれなかったのは誰か
       ↓
親のどちらか(無自覚である場合が多い)だ
       ↓
感情(自分)が殺された→感情(自分)を殺した相手に怒りを感じている

というのが、
家族間殺人の根底にある理由であるという、これは一つの個人的見解です。

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自分の”好き”という気持ちを、
自分の”好き”な人に否定されるというのは
愛する人に対して同時に羞恥心と憎悪を抱く非常に苦しい経験です。
しかし否定されてもあなたの”好き”だという本音は消えて無くなるわけではありません。
でも認めてもらえないから出すことができない→表現できない苦しみから逃れるために自分の本音に嘘をつく→体内の本音が「認めてくれ」「私を見て」と騒ぎ立てます。
これが承認欲求の正体です。

本当の自分(本音)を認めてほしいわけです。他ならぬ自分に。

もちろん自分と他者という分離感の中で生きている限りは承認欲求(ストローク)がなくなることはないので、全部がこれであるとは言いませんが
大半が押し潰した本音であり、感情のタンクの一番上に怒りがある理由は
本当の自分(心)を殺した自分自身(エゴ)に対する怒りであると思われます。
(この領域に来ると自分を認めてくれなかった親も自分であるということがわかってくるので、親は関係なかった。ということにも気付きます)
自分と自分が仲悪いので、恋愛や人間関係がうまくいかないのです。
恋人に自分を理解して欲しいんじゃなくて、自分自身(エゴ)に自分(気持ち)を理解して欲しい
ここで全ては自分の中で起きているといういつもの持論に繋がってくるわけです。

先日「保育士の給料が安すぎる」という記事がTLに落ちてきました。
これはお金の話になってきますので観念の問題が大きいですが
一つは、自分が不当な扱いを受けていると感じているということですよね。自分自身(エゴ)に自分(気持ち)が不当に扱われている。
自分で自分の欲求が叶えられていないという、自分に対する不満。として見ます。この話はまた改めて。


何らかの理由で感情表現が自由にできなかった環境に育った人は
他者の承認を求めて何でもします。
認めて発散しない限りいつか爆発して無関係な他者の命を奪いかねないからでもあり、謂わば生命の危機なのですから当然です。
学校教育の中では他者との競争に勝つとみんなが褒めてくれたり拍手をくれたりしました。
その称賛により一瞬でも自分が認められたと錯覚し優越感を覚え、依存していきます。
フォロワー数やいいねの数、SNS映えにこだわるのはエゴがこの優越感に依存しているためです。
見てもらえるなら人と違ったことをしようと奇抜な髪色にしたりややこしい場所に墨を彫ったり、
また他者と違った意見を掲げて尖ってみたり正義の味方を演じてみたりと、とにかく”自分”というものを全面に押し出そうとします。
ライブやイベントレポをする人もそれを批判する人も見て欲しいのは”自分”なんですね。(筆者もライブレポを書く人であるということをお忘れなく)
しかし、依存なので、終わりがありません。
何かを掴めば失うことに怯え、また隣の誰かの功績に自分の気分が大きく左右されます。
「幸せ」をアピールするも結局何を得ても決して誰も幸せではないのです。

というか今度は「幸せ」ではないことを恥じるような世の中にもなってますよね。
不幸であることが不幸なわけではないんですよ。
スピ系の人々が伝える「〇〇をすれば〜」とか「〇〇を手放して〜」をやれば毎日良いことばかりが起きる未来が来る。わけではありません。
どんな覚者にも人間の善悪で見る良い出来事悪い出来事というのは変わらずこれからも起きていくのです。それがこの三次元での陰陽の法則ですから次元移動しない限り逃れることはできません。
いつか訪れる幸せを追い求めて幸せなふりをするほうがよほど不幸です。
言葉の綾のようですがそうではなくって、訪れた不幸も素直に受け止めていくことこそが動かぬ幸せというか。皮肉のようですけども。
世界が不幸を許したら絶対的な平和が訪れるとさえ思います。

鬱やパニック、自傷癖なども、発達障害やADHDが直接的な原因ではありません。
その個性を、緑の部分(エゴ)が否定するために精神を病むのだと思います。
メンタルの病(大半の体の病も)は全てこのエゴの部分で起きており、カウンセリングやセラピーは主にエゴの治療をしているわけです。

本当に長い論文のようになってきたのでこの続きはまた別記事にします。。。

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私の家庭では子供らしい感情表現の全てが出来ませんでしたので
Bパターンの中でもめっちゃ、もうめっちゃクソ遠くに全ての人間を置いています(笑)
これが私が何を考えているのかわからないと人から(時に交際相手にも)言われる所以なのだと思うんですが
感情を隠し相手の望む自分に合わせることで自分を守ってきた私は親を含め全ての人との関係が全部無意識な"演技"なので相手の人格に関わらずとても疲れます。
だから自分の本当の感情が動くシーンではどうしても、ひとりで居たかったのですよね。
ゆえにライブを通して感情が動く場面が増えひとりで行動することが増えたのだろうと思います。

結婚しない30代が増えているのには
一人で生活してみて、またおひとり様文化も合法化が進み
その気楽さから離れる勇気がないから、かもしれませんね。
Aパターンの人は時折一人の時間を作り互いに理解し合えていればなんとかなりますが
Bパターンの人はそれを乗り越えない限り他者との共同生活はストレスでしかないと思いますので、仕方ないというか
無理にまた自分を殺すような生き方をして病気になっては元も子もありません。

ちなみにBパターンの人がこの距離感を乗り越える異例があります。
事業の大失敗や破産、または病気や事故で死を目前にして斜線部分のプライドが崩れ去り
見せたくない醜い自分を見せざるを得なくなったという経験が挟まった場合
そこで人生が大きく変わります。
これを意図的に起こすセラピーなども存在しますが、かなり荒治療です。笑
心屋式カウンセリングは元祖その方法だと思います。

次回は感情のタンクの中身と怒りの段階についてお話しようかと。
(自分が忘れないために覚書)


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