ありのまま、人とともにある
年が明けてからというもの、二十数年連れて歩いてきているもの*に(ジャッジを入れず)ただまなざしを向ける・そこにあると認めるキャンペーンを展開中。
その中で軽やかにパンドラの箱のふたが開いたり他者と響きあったりしていて、つくづくニンゲンはおもしろい。
*価値観や固定観念、ビリーフ的なもの、感覚とかいろいろ。シャドウでもあるのかな?
最近読んだ本(メンタルモデル)と潜在意識にアプローチするタイプのセッション、意識構造の変遷についての勉強会、シャドウについての勉強会。
頭蓋整骨のレッスンやたわいないおしゃべりも、最近はじめた写真も、絵を描く、描いたものを観るのも、ぜんぶリソースになっているなあ。
これはいまやるやつだ〜、と気づいたのは感覚的なしっくり感からなのだけど、その内訳がわかってきたので、未来の自分に向けて分解して書いておくことにする。
それがタイミングだなとおもうとき
直近で直面していた苦しさや課題がクリアになったのが昨年末のこと。生きのびるために課題と対峙してきた。やるぞー!ってよりは、出てくるものをちぎっては投げ、ちぎっては投げしてた感覚。
ひと区切りついて視界が開けたからこそ浮かび上がってくる課題があるってのは発見だった。それがタイミングってことなんじゃないかとおもっている。
これはたぶん、自分自身の準備ができたから、とも言える。自分の強度が増したのもあるし、フィジカル/メンタル両面のアラートに気づいてケアして、が身についてきたのもあるな〜〜
崖に落ちずに事故らずにスピードスターやれるようになりつつある。まだ修行中ではあるけども…!!!
自らを取り巻く環境という意味でも整ってきた、整えてきた2020年だったんだな。整理できてなくても出してよい関係性や相談できる、泣きつける相手が増えた。ありがたや。
濃淡は様々だけど、どう取り繕ってもどうしようもなくすったもんだあるプロセスを共にしてくれる、させてくれる存在たちのおかげもありますね。それはもう大いに。
それぞれがありのままでいるってのはめちゃ尊いなあ、とおもうとともに、その在り方をみて学んでいる自分もいる。
ありのまま、人とともにある。ってこういうことなんだろうな。各位これからもよろしゅうに。
今日のBGM
ナイトフィッシングイズグッド/サカナクション
いつかさよなら 僕は夜に帰るわ
最近ずっと頭の中で鳴っている曲。構成がドラマチックですき。
この記事読みながら聴くといっそう味わい深いのでおすすめ。アーティストは伝えたいことを伝えるために、表したいことを表すために魂を込めるのだ。
今日のカバー画像
水の近くに住むのはいいな。ゆれていても凪いでいてもいい。
自分がグッとくる色合いで写真を撮るための設定?を見つけたいなあ。
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