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私はひたすら書き続ける~障害や持病が個性となる共生社会を目指して~

私が未来のためにできることは、書き続けること。

もとは看護師一筋だった私。
しかし現在は、本業で広報、副業でライターとして医療記事や医療従事者・患者の思いを伝える仕事をしている。

訪問看護の仕事の付き添いで訪れた桜

書く仕事を始めたきっかけは、友人の「文章上手いから書いてみたら?」のひとことと、指定難病「重症筋無力症」の発症だった。

私は以前、難病の病棟で看護師をしていたため、治療法や生活上の注意をよく知っていた。だから自分が発症したときもすぐに「受診時間を調整できる働き方にしよう」と決めて職場に交渉。

すると、当時の職場から返ってきたのは「その働き方は用意できない。健康な人を雇うので早く辞めてほしい」という回答と、発症前まで一緒に出掛けるくらい仲のよかった同僚からの無視だった。

退院後に見にいった夕日

でも幼少期発症のてんかんで同様の扱いを受けてきた経験がある私。
同僚や職場の態度が変わったことも「またか」としか思わなかった。
仕事も恋愛も「病気があるんじゃ……」と別れを告げられる、辞めるように仕向けられる、仕事が振られないというのは日常だったから。

友達の結婚式に参加したとき「普通」の難しさに落ち込んだ

大きく違ったのは、ひとりで生活していかなければならないこと。
だから役所で公共のサービスの相談や転職エージェントを使い、治療しながら働きたいこと、給付金をもらいたい旨を伝えた。

しかし、そこで直面したのは「見た目は普通で、障害者手帳がないので支援できない」「難病を持っていると求人紹介が難しい」という現実。

その中でもがき、認知を広げたい思いと副収入を得るために続けてきた「書くこと」。
noteやXに病気を持つ生活や社会への思いを書いてきたのだ。

すると、読者からメッセージが来る、イベント運営・参加など、同じ思いの仲間と繋がることができた。
そして障害や持病がある方と健康な人が助け合いながら生きられる社会を築きたいと強く思った。

私もこのような素敵な言葉を紡いでいきたい

今注目が集まる共生社会。
でも実際は目に見えない障害や病気は認知も低く、支援も得られないことが多い。

そんな社会で病気や障害を知ってもらい、共生社会を作っていくためには、医療従事者であり難病患者という経験を生かし、わかりやすく伝えることが必要だ。

障害や病気の理解が進み、個性として受け入れられる社会を作るため、これからも私は書き続ける。

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