イノウエキエの素晴らしさについて語りたい
「ルワンダでやり残したことは?」
そう聞かれたら、きっと「イノウエキエの記事を完成させなかったこと」と答えるだろう。
いつか記事にしよう、いつか記事にしよう。
そう思いつつ時間が経ち、帰国までには…と思うも、あっという間に帰国日に。そして、帰国してから2ヶ月以上経ってしまった。
本日、ようやくこの記事を完成させられることを嬉しく思う。
まずは、彼女の簡単な紹介から。
①アラサー女性(私の2コ上)
②ルワンダのコーヒー隊員
③前職はバリスタ。都内のカフェで働いていた。
③ルワンダでは割とご近所さん(徒歩約1時間)
④お笑い担当
1.シンプルにめっちゃおもしろい
彼女を知るほとんどの人が、彼女を“おもしろい人”と思っているだろう。
私が抱いた第一印象もそうだった。
出会いはルワンダの我が家の前。彼女は、当時私の家の隣に住んでいたルワンダいちのテクニシャンである自動車整備隊員のおじさんに用があり、家を訪れた。その際挨拶をしたのが初めての会話だった。
何を話したかは全く覚えていないが、思わず「関西人ですか?」と聞いたのは覚えている。激しかったのだ、会話が。よく喋り、よく笑う。
準人見知りである私には珍しく、仲良くなれそうと思った。
残念ながら、関西人ではなかったのだが。
それからすぐ、他の人には共感してもらえなかった笑いを、彼女とは共感できたことがあった。ルワンダ第二の街フイエで、大笑いしながら歩いた。
そのとき確信した、同じ種類の人間だと。
嬉しかった。
彼女のおもしろさをどう表現したらいいのだろう。
うまく文章で表せないのがもどかしい。
今思い出せることといえば、彼女が学生時代、友達の恋愛予想がよく当たることから「預言者パウロ」と呼ばれていたことと、お泊まりをしたときに着ていたオレンジの服がルワンダの囚人みたいだったことくらいだ。
(多分)わざとおもしろいことをしているのではない。“シンプルに”おもしろいのだ。そこにいるだけで。(ディスっているわけではない)
私は彼女のことを「今まで出会った中で一番おもしろい女」と紹介している。ハードルを上げるようだが仕方ない。私にとって本当にそうなのだから。もし、知り合いに彼女以上の人がいれば紹介してほしい。
2. フットワークが軽い
彼女とはご近所さんだった。
と言っても徒歩で1時間かかるが、それでも隣人のおじさんを除けば一番近かった。
だから、ことあるごとに彼女を誘った。
同じ地方の隊員とのご飯、ルワンダの大学に留学している大学生とのご飯、元VCさんとのご飯、他の隊員のご家族とのご飯、私の日本の友達とのご飯、地球の歩き方の編集者とその旅友兼マネージャー(?)とのご飯…
彼女にとって、時には私にとっても初対面の人がいた。
でも、出席率は多分100%だったんじゃないだろうか。
誘ったら100%来てくれる女。ありがたすぎる存在である。
3. コーヒーに詳しい
彼女はコーヒー隊員であり、ルワンダのコーヒー生産に携わる活動をしている。
初めて彼女の家を訪れたとき、日本から持ってきたというコーヒー器具を使ってコーヒーを淹れてくれた。
コーヒーのことはよく分からないが、好きだし興味はある。バリスタが淹れるそのプロセスを、興味本位で動画に撮った。
みなさんは、コーヒーに”レシピ”があるのはご存知だろうか?
”プレス”、”ステイ”という用語をご存知だろうか?
コーヒー素人の私にとっては初めて知ることが多く、「どんなレシピがいい?」と聞かれたときは、「何、レシピって?」と笑った。
コーヒーのことについて、何を質問してもちゃんと答えが返ってくる。
大学時代は、コーヒーとは全く関係のないことを学んでいたという。大学時代のカフェバイトがきっかけでコーヒーが大好きになり、就職したのだとか。
仕事が大好きで、仕事が楽しいという。楽しんで仕事をする人はとても魅力的だ。今も、早くバリバリ働きたいと、ルワンダの牛乳の街アレテでうずうずしているだろう。
随分後から知ったのだが、彼女は社会人になってから、コーヒーを学ぶために学校に行っていた。
社会人になってから「好き」を極めるために学生になって学ぶなんて、すごくかっこいい。
それ故、知識があるし、経験もある。本物のコーヒー隊員だと思った。
これまた随分後から知ったのだが、彼女はルワンダに来る前に取材を受け、記事にされていた。やはり、正真正銘のコーヒー隊員だった。
その記事がこれである。ぜひ読んでみてほしい。
私はこの記事の「コーヒー片手に大笑い」というフレーズが大好き。
彼女にぴったりの言葉だ。
4. 協力的で優しい
私の活動先の小学校で、日本祭を開催したことがあった。子どもたちに日本文化の体験をしてもらったり、日頃教えている歌や鍵盤ハーモニカの発表をしたりするイベントだ。ルワンダの日本人ボランティアを20名弱お呼びした。
自分からやると言い出しておいてあれだが、主となって企画・運営することが不得意で不慣れな私にとって、それは結構なプレッシャーだった。
人を呼ぶからには、きちんと計画をしないといけない。入念に準備しておかなくてはならない。グダってはいけない。来てよかったと思ってもらえるようなイベントを創り上げないといけない。
イベントの1ヶ月以上も前から内心そわそわしていた。
彼女はそれに気づいていた。
多分口に出していないし、SNSにそのような投稿をしたこともない(はず)
覚えているのは、彼女が「もえぴ一人で準備するんだよね!?手伝うから言ってね!」
このようなLINEをくれたこと。
自分の活動だし、自分の学校だし、一人で準備するのは当たり前だと思っていたので、すごくびっくりした。
そして、人に頼るのが苦手な自分だが、お言葉に甘え、学校の子どもたちに食べてもらおうと思っていたいももちの仕込みのお手伝いを頼んだ。
「当日の朝、8時15分くらいに来てほしい」
そうお願いしていたのだが、なんと彼女は7時半に現れた。同期のお友達を連れて。45分前行動だと。はひ?
そのおかげで、約120個のいももち仕込みは余裕で終わったのだ。なんとまあ協力的なお方だと思った。
さらに、そのイベントが無事に成功したとき、中間発表が終わったとき等、彼女は事あるごとにお褒めの言葉をくださるのだ。
小学校の先生みたいなことを言うが、彼女はぽかぽか言葉の源泉である。
※『ぽかぽか言葉』とは、「ありがとう」、「すごいね」、「すてきだね」など、心がぽかぽかするような言葉の総称であり、小学校の学級経営などでよく使われるワードである。
自分が思ったことを本人に言葉で伝えることは、機会でもなければなかなかしないことなのではないだろうか。
でも、彼女はわざわざそれをしてくれるのだ。どんなやりとりをしていたか確認するためにLINEを遡れば、心が温まる嬉しい言葉がたくさん見つけられた。(以下、LINEの抜粋)
何?言わないと後悔するって。
いいやつすぎるだろ。
5. 人目を気にせず熱唱する姿に元気づけられる
1年前の8月、とてつもなく気分が沈んだ日があった。ルワンダで仲良くしていた人たちが帰国してしまったのだ。
空港でのお見送りを終え、空港からあのゴチャゴチャしたニャブゴゴバスターミナルへ向かうタクシーの中でも涙が出てきてしまう。そんなビョーキともいえる状態だった。
その日、一人で任地に帰る気力がなかった私は、ルワンダに残った女3人組のお泊まりにお邪魔させてもらった。この女たちの賑やかさには、ほんとに救われた。
隊員宅での夜ご飯の片付けのとき。ご飯を作ってくれた隊員にはゆっくりしてもらい、洗い物をする私と、隣でお皿を拭くもう一人の隊員。
その後ろで、何の仕事があるわけでもないのにそこに立ち、何の仕事をするでもなく、ただ大黒摩季の「あなただけ見つめてる」を熱唱する彼女。(違う曲やったかもしれない)
まるで一人でカラオケに来ているように。
まるで周りに誰もいないかのように。
まるでそれこそが自分の役割かのように。
実際にはないマイクを持ち、目を瞑り、気持ちよさそうに大声で歌う。
あまりにも潔いので、おもしろいを通り越し、一種の感動にも似た感情が押し寄せた。
気分が沈む日だったが、それを見ただけで少し元気が出た。
歌う姿でこんなにも人を元気にさせるとは。恐るべし、イノウエキエ。
6. 人間性
彼女をただの“おもしろい人”だと思っている人。
もういい。(何が)
いいから、一回彼女と一対一で話してみてほしい。
大人数でいるときの、お笑い担当ではない彼女の姿を見てくれ。
全然違うのだ。
例え、中身空っぽのただのおもしろい女でも彼女のことは好きやけど、違うから。中身詰まりすぎてるから。
私は最初、彼女が協力隊に参加した理由を聞いたとき、「あ、好き。」と思った。
やっぱり、何をしに来たのかを語れる人には惹かれる。そこにしっかりとした理由がある人に。
そして、先程彼女はふわふわ言葉の源泉だと言ったが、ポジティブワードの源泉でもある。
自分の人生に迷ったとき、人間関係で悩んでいるときには彼女を頼ってみてはどうだろうか。
きっと、前向きな言葉で励まし、持ち前の明るさで笑い飛ばしてくれる。
繰り返しになるが、“ただのおもしろい人”ではない。“ただの明るい人”でも“ただのポジティブ野郎”でもない。
その裏には、人一倍悩み、傷つき、じっくり考える面がある。だからこそ、人としての深みが生まれるのだ。人の痛みが分かり、人の気持ちを考えられる人なのだ。
7. ここぞというときに見せるデキ女さ
みなさん、彼女が企画したクリスマスパーティーに参加しただろうか?
盛り上がった会の裏側に、彼女の緻密な計画があったのはご存じだろうか?
当日の2ヶ月も前から、彼女は動き出していた。仕事かよと思うぐらいの計画性と実行力だった。
みんなを楽しませる精神。盛り上げ力。絵に描いたような主役キャラ。輪の中心になる人物なのだ。
そして、もう一つは彼女の中間報告会。
中間報告会とは、協力隊の活動が始まって1年間経過したくらいに、JICA事務所で自分の現時点の活動を報告する会である。ルワンダの場合、他の隊員はそれを任意でオンライン参加することができる。
その日、活動中ではあったが、担当授業はない時間帯だったので教材を作りながら聞いていた。
彼女の発表が始まったとき。
「!??」
「だれこれ、きえちゃん…!?」
二人で話すときの彼女を知っているとはいえ、普段との違いに驚いた。(ディスっているわけではない)
ああいう場で真面目にできる人、視聴者を意識してはきはき話せる人、好きです。素晴らしい発表の裏側で、中途半端にならないようにちゃんと練習している人、好きです。
「好きやわ〜〜。」
と言った。作業部屋で。
そして、彼女は最後に自分のありのままの思いを語った。
あの場で語れる勇気はすごい。かっこいい。多数の人が同じことはできないからこそ、感動した。それを聞いて胸が熱くなったのは、きっと私だけじゃないはず。
普段はお笑い担当の女も、仕事のときはデキ女。
8. 人を笑顔にする能力がある
JICAの協力隊のキャッチフレーズに(キャッチフレーズではない)「命の次に公用旅券」というものがある。
そのまま、公用旅券(緑色のオフィシャルパスポート)は命の次に大切だという意味だ。
命の次に大切なものは他にもあると思うがそこは一旦置いといて、
私はこちらのキャッチフレーズを広めたい。
「元気になるならイノウエキエ」
これもそのままの意味。彼女を見ているだけで元気になれるのだ。
あるとき、ルワンダ隊の女たちと、彼女の家で「イノウエキエ撮影会」をした。客観的に見れば、はひ?と思うような会であろう。
その会では、料理をするキエ、シャボン玉で遊ぶキエ、床を拭くキエ、ブロシェットを買うキエ、牛とキエ等、彼女の日常を動画で撮影した。
それらをただ繋ぎ合わせただけのシンプルな動画を作ったのだが、なんとまあ元気が出るのだ。それを見るだけで、おもしろくて声が出るのだ。何なんだ、この力は。
ルワンダでの生活はとても楽しかったが、そりゃあやっぱりたまには元気が出ない日もあった。そんなときは、イスラムタウンのローカルレストランの2階席で、美しい千の丘を眺めながら彼女の動画を見たものだ。
帰国して僅か10日後に始まった仕事。怒涛すぎた4月。残業時間は約75時間だった。クレイジーだ。
身体的な疲労より、自分の時間が確保できないことへの苛立ち。
「イノウエキエの動画、イノウエキエの動画をくれぇぇいいいい」
と、彼女の動画にすがりたくなった。
スマホの容量の関係で、インスタのハイライトにしかないその動画を見るためには、「friend」という友達との思い出をまとめたハイライトを多分45回ぐらい連打しなければならない。
45回連打する余裕すらなかった私は、その特効薬にありつくことがないまま怒涛の4月を乗り越える羽目になったのだ。
今後のために、もっとよい保存方法を考えるべきである。いつでも彼女の動画が見られるように。
頼むから、YouTubeでも始めてください。
9. ずば抜けた被写体力
百聞は一見にしかず。これは、文で語るより写真を見てもらった方が早いだろう。
笑顔(というか大笑い)を撮るのが好きな自分にとって、彼女は最高の被写体なのである。撮っていてとても楽しく、にやにやしてしまう程いい写真ばかりなのだ。専属ポートレートモデルになってほしい。
10. 夢や目標に肯定的
彼女との思い出は色々あるが、その中でも一番心に残っていることは、バスの中での会話である。
ルワンダで長距離移動をする際は、バスを使うことになる。(電車はない)
私たちは比較的少ない南部の隊員だったため、首都のキガリへ行く時は、よく時間を合わせて一緒にバスに乗った。
そのバスの中では、夢や目標を語り合った。
私はあまり好んで自分の話をしない。というか、特に大人数のときは自分のターンをなるべく早く終わらせ、そそくさと聞く側に周るのだが、本来語り合うのが好きだ。信頼している人には自分の奥の部分を話す。
彼女には、自分の本音を語ることができた。考え方や野望も。ほんとにたくさん。
なぜ自分がそんなに話せたのかというと、彼女も自分のことをよく話してくれたからというのもあるが、一番は、彼女が肯定してくれる人だったからだろう。
人によっては、アホかと思うようなことを話していたかもしれない。何も定まっていない、明確化されていないこと。ただ自分の中にあるぼんやりとした理想を言葉にして吐き出していた。そんな内容でも彼女は認めてくれたし、もえぴならできるよ的なことを言ってくれた。
彼女の話を聞くのも大好きだった。私が今までに出会ったことがないタイプの人だったから新鮮だった。住んでいるところ、職業も全然違うから当然か。彼女と語り合っていると、「おもしれぇぇ、たのしいぃぃ」と興奮してきたし、色々な人生のあり方があるのだと思うことができた。
「好き」を自分の軸に、人生の中心に置いているその生き方はきらきらして見えた。
仕事、結婚や出産など、人生の話もたくさんした。
「わたしたちもう30だよ、やばいよね。」
「やばいな。」
そう言いながら、お互い全然やばいと思っていないところが好きだった。結婚していないことや子どもがいないことに、全くもって引け目を感じていない。
むしろ、まだまだ自分のために生きたいと思っているし、自分の好きなことに時間やお金を使うことを望んでいる。そして、そんな自分が好きなのだ。
結婚して、子どもがいる人生も素晴らしいと思う。出産や育児というものは、他の何にも代えられない経験であるとも思う。幸せな家庭を築いている人もたくさん知っている。
それでも、今はまだ「自分のやりたいこと」が最優先なのだ。
これに共感してくれる人はきっと多くないから、本当に貴重な存在なのである。
私が住む田舎では尚更、この考え方は少数派である。
誰かに否定されたわけでも、何かを言われたわけでもないが、無性に
「イノウエキエに会いてぇぇええ」
と思うことがある。何度も。
自分の価値観を語ることが、誰かの人生を否定してしまうのではないかと考えると、なかなか本音を話せないことも多い。
そうして口をつぐみ、自分を隠すとき、彼女の存在を思い出すのだ。
「共感できる相手」というものは、思っていた以上に自分にとって必要で、心の支えなのかもしれない。
彼女に出会えてよかったと心から思う。
このまだまだ忙しい時期にわざわざこの記事を完成させたのは、帰国して、より一層彼女の存在の有り難さに気づいたからだろう。
帰国後、特に連絡を取っているわけではないが、あのバスの中で語り合った時間を思い出すことは多い。キモイナ
彼女が任期を終え、また日本で会う日を楽しみにしておこう。
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