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優しさの本質を知って、心が軽くなった話。

思えば、高校生の時。
「優しい人」と自分自身に定義付けられることが、苦手だった。

優しいって曖昧。
いろんな形の優しさがあるし、優しさと厳しさは表裏一体な気がする。

「凄いね!」と褒めることも優しさ。
「それは違うんじゃない?」と指摘することも優しさ。

曖昧で、柔くて、広義な「優しい」という言葉で片付けられている気がしていた。
そして、そんな言葉しか当てはまらない自分のことが嫌だった。

思えば高校時代、いろんなことを考えていた…。

でも、
だからこそ、「優しい人」をホンモノにしたいと思った。

相手が求めている時に、助けられる人。
相手を理解して、欲しい言葉を届けることができる人。

そんな人になりたかった。

また、ミモザの咲く季節を迎える…。

そして、最近。
鯨井あめさんの「晴れ、時々くらげを呼ぶ」を読んだ。

無関心であることは、人に優しくできないということだ。自分勝手であることは、感情の矛先を間違えるということだ。優しさの本質は他者への興味だ。

鯨井あめ「晴れ、時々くらげを呼ぶ」より

私は、難しく考えすぎていたのかもしれない、と思った。
いろんな人のことを理解したくて、広い視野が欲しいとか、
正しい言葉を伝えたくて、心理学を勉強したいとか…。

そんなことじゃなくてもいいのかもしれない。(できるに越したことはないけれど…)
私がこんなふうになりたいと思った理想像。
それらには、全て「相手」がいた。

相手に興味があるから、相手を知りたいと思える。
知りたいと思うから、相手の話に耳を傾ける。
耳を傾けるから、相手を思いやることにつながる。

他者への興味が「優しさ」の本質で、私は無意識のうちにそれを持っていたのだ。
気がついた時、心が軽くなった気がした。

何度目かの春を、明るい気持ちで…!

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