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身体を通して生態系を学ぶ@有明海・諫早湾


坂上萌(Moe Sakaue)です。
リジェネラティブデザインについて勉強しています。
鳥取大山で、里海の生態系の循環を調べながら、人が身体を通して世界に気づきなおし、自然を学ぶ体験やツアー作りをしています。そしてこの地で「mimori*」というプロジェクトを立ち上げました。山川海全てを「森」「流域」として捉え守ってきた人を「水守」、みもりと呼ぶことがあったそうです。先人の仕事や知性の痕跡を辿りながら、人と人、人と自然が共に生き、繁栄するために、これからの時代に「土とは何か?森とは何か?」この世界で「生きること」を再定義したい。世界観が変わってしまう体験を届けたい。どうしたら人の認知、そして視座を変えられるのか考えています。


本記事では、環境問題がこれだけ提起されるなか、「自然の物理現象を身体を通して学ぶことが必要なんだ!」と思うに至った経緯を書いています。

2020年成人式を迎えた1ヶ月後、コロナウイルスの広まりと自粛生活が始まりました。「私の人生は水道管と何が違うのだろう?」
自粛生活のなかで自分に問いかけたことでした。
できるだけ外に出ず、Amazonで届いた食材と水道管から運ばれてきた水を三食を頂いて、フルリモートのバイトと大学の授業を受けて寝る。
危険に晒されず、生きることにも困らない、しかし無気力さと虚無感しか生まれない生き方を繰り返すうちに、自分が生きているのか不安になりました。私の体は、エネルギーと水を体に通して、下水に流す管と何が違うのだろうか。無数の命をいただいて、カロリーに変えて、何をしてきたのだろう。自分は地球を消費するだけの存在なのか?

自然環境のなかで生きる先人の言葉に触れる


そのころ大学の歴史学科にいた私は中世におけるエジプトの農業と経済について学んでいました。当時の人々は、小氷河期に入り気候変動に晒され、さらにペストの流行に苦しんだ歴史があります。
イブン=ハルドゥーンの歴史序説やイブンバットゥータの大旅行記、マグリズィーの書物を読み、自分の生きている今の時代と自然環境について考えるようになりました。先人たちが晩年に残した書物は、「私たちは何者であるのか」「厳しい自然環境のなかで、人はどう生きるべきなのか」と問いながら、後世に貢献できる知恵を伝えようとしていました。気候変動と疫病という同じ状況に置かれている私たちは、この時代にどのように生きるのだろうか。また「自然と共生するとはどういうことだろうか?」と思うようになりました。

あいだの実践探索ラボとの出会い

そんな時に出会ったのが一般社団法人Ecological Memesの「あいだの実践探索ラボ」でした。

https://aidalab-ea-2.peatix.com/


「陸と海をつなぐあいだの生態系がある」
都会に生きてきて、「干潟」という生態系の役割を知らなかった私にとって、いかに自然界のことを知らなかったのかに気づくセッションでした。
登壇されていた佐藤先生は、「単一のモノサシやヒトの視点に閉じて役に立つことばかりを過度に追求してきた近現代社会のなかで、見落とされてしまうことがある。」と言い。役に立たない”ゴカイ”という生き物の重要性について語られました。実際その川と海を繋ぐ有明海・諫早湾の干潟を見てみたい!」そう思いフィールドワークに参加しました。

諫早湾で感じた目に見えない生き物の躍動

  1日目、最初には鹿島市ラムサール条約推進室の方々に案内いただき、肥前鹿島干潟を見学しました。57haもの干潟は想像以上の壮大さで、見る限り一面人間のいない世界が地平線まで広がっていました。遠くから見ると地表がピカピカと光って見えるのですが、近づくとそれは地表いっぱいにいるムツゴロウやワラスボ、カニたちが地表を跳ねて飛び回る動きだったのです。見渡す限り干潟しかない茶色の世界なのですが、不思議と賑やかな生き物たちの生命活動の音で満ちていました。
干潟というのは、川と海をつなぐあいだの生態系です。川から流れてくる栄養が吸収されて、海の富栄養化を防いでいます。東京湾では98%が消滅されたという干潟は全国的にも年々減少しています。天然のソーラーパネルと言われる干潟を肌で感じ、人間が浄化設備を作らなくても生態系には必ず機能があり、人間が完璧に再現し超えることはできないのだろうと思います。
 日本では災害が増えています。人の暮らしをより良くするため、対処をしなくてはならないと思ってしまいますが、本来の生態系が持つ機能に任せていくといった選択肢を持っていたいと思いました。

https://aida-lab.ecologicalmemes.me/posts/reportage02


いきいきと飛び跳ねるムツゴロウ

実際に足を運ぶと地平線まで続く茶色の干潟。何もないなぁ。それが正直な感想でした。しかし、干潟に立った時に、無数の音が体を包み、肌がビリビリとしました。よくみるとムツゴロウやカニ、小さな生き物がゴソゴソ一面蠢いていました。命のリレーですよと田中克先生はおっしゃられました。
自分の目に見えないところにも命があって、物質循環が絶えず行われている。この生命の網目に私たちが生きているのだ。腑に落ちた体験でした。

もう一つ驚いたことがありました。
堤防内に流れ込む境川と外に流れ込む長里川の水生生物採集を行い、諫早の堤防がもたらす生態系の影響を与えているのかを調査したときです。堤防内に流れ込む境川をみたとき、川の水が透き通っていて綺麗だと思いました。
しかし、その川は堤防の影響で生き物は少ないところ。川のなかを調査しましたが長里川にいたようなカニや貝は全く見当たりませんでした。

 かつての豊かな有明海の様子を現地の漁師さんたちは「きれいに濁っている」といったそうです。単一的な美しさや綺麗さの追求は豊かさをもたらさないかもしれない。これは今後、自分たちが暮らしていきたい未来を考える上で、自分の感性を疑うための非常に大事な感覚だったように思います。

https://aida-lab.ecologicalmemes.me/posts/reportage02

環境にやさしい、綺麗な川とイメージするものと、生きている川はこれほどまでに乖離しているのか。本や論文で学ぶ知識だけで判断することはできない。環境問題を語る前に、体験が大事なのではないかと思うようになったんです。

自然環境とは何を指しているのか?私たちも自然の一部で、常に動的平衡のなかに生きている。見えないけれど、無数の生き物が役割を果たし気づかないところにも物理現象が起きている。微細で複雑な生態系を、自分の認知バイアスのまま善悪で判断してはいけない。設計して支配しようとして作るものではない。自然環境に関わっていきたいものとして、いかに体を通して学ぶことが大事なのかに気づくきっかけとなりました。

(続く)


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